北大路欣也の父で、「旗本退屈男」などで知られる、昭和を代表する天下御免の大スター、市川右太衛門(享年92)が、老衰のため千葉県館山にある老人保健施設「赤門なのはな館」で亡くなったのは、99年9月16日のことだ。2日後の18日、記者会見を開いた北大路は、次のように説明した。
「本人のたっての希望で、館山に入居しました。『密葬にして、死を誰にも知らせるな』という故人の遺言を守りました。大往生でした。70年も連れ添った母のそばで静かに幕を下ろすことに、感動しました。『100歳まで退屈男をやる』と堂々と言える親父が羨ましい。本当に尊敬しているし、一人の人間として心から愛していました」
涙ながらに語る姿がまた涙を誘い、ワイドショーでも親子鷹の美談として時間を割いて取り上げられたものだ。
ところが告別式からほどなくして、北大路の親族が「あの美談はすべてデタラメ!北大路は父を見捨てた冷血な男」と週刊誌で激白し、急転直下の大騒動に。
親族によれば、北大路は館山行きを拒む父を半ば強引に施設に追いやり、以降、連絡が取れなくなったと主張。さらに、毎日の食事さえ事欠く老夫婦に経済的援助もせず、見かねた家政婦が食費を立て替えていた、というのである。
この証言が事実なら、「冷血」「姥捨て」と言われても仕方がないだろう。だが所属事務所に取材を申し込むも、「お話することはありません」の一点張り。
そこで親族を取材すると、こう言って唇を噛んだ。
「週刊誌に語ったことが全てです。右太衛門さんの『老人ホーム』行きは、将勝さん(北大路の本名)夫妻以外、親族は誰も知らなった。だから、見舞いにった時には、余りのやつれ方に驚いて…。本当に悔しいです」
そんな騒動から2年後の02年12月19日。今度は右太衛門の妻である、スヱノさんが95歳で亡くなり、22日には東京・練馬区の信行寺で、通夜・告別式がしめやかに執り行われた。
しかし、出棺前の最後の別れで、母の顔に手を当て頬ずりしながら涙を流す北大路の姿さえも「演技のようにしか思えない」と、ある週刊誌に告白した親族の言葉に、決して埋まることはないであろう両者の大きな溝を感じずにはいられなかった。
(山川敦司)
1962年生まれ。テレビ制作会社を経て「女性自身」記者に。その後「週刊女性」「女性セブン」記者を経てフリーランスに。芸能、事件、皇室等、これまで8000以上の記者会見を取材した。「東方神起の涙」「ユノの流儀」(共にイースト・プレス)「幸せのきずな」(リーブル出版)ほか、著書多数。