宮城野部屋を継承した白鵬(宮城野親方)が、8月20日、新生宮城野部屋の「朝稽古」を公開した。先代師匠の間垣親方と弟子達の稽古に臨んだ白鵬は、「横綱、大関になった時と同じような緊張感とプレッシャー」と語り、「常に二桁勝利、勝ち越しが当たり前の世界に、再び飛び込んだよう」と、その心境を明かした。
そんな白鵬の自伝漫画「白鵬本紀」を連載中なのが「週刊アサヒ芸能」だ。発売中の9月1日号の内容といえば…。
2013年一月初場所7日目の1月19日、白鵬が「角界の父」と慕った大鵬が逝去した。悲しみに沈む白鵬だったが、白鵬にはもう1人、モンゴル時代から尊敬する力士がいた。「昭和最後の大横綱」、ウルフこと千代の富士である。千代の富士は幕内優勝31回、53連勝を果たした大横綱である。
新弟子時代のころから何度も千代の富士の取組のDVDを見ていたという白鵬。
小さい体で大きい力士をものともせず、左前褌(まえみつ)を取り、一気に走り勝負を決める、そんな取り口に憧れ、みずからも挑戦する白鵬だった。しかし親方からは、
「コラァ! 白鵬! 小さな体でそんな大きな相撲を取ったら怪我するぞ!」
「あのなあ、お前、10年早いって言うんだよ」
と叱責されたのだった。
その白鵬と千代の富士が初めて会話をしたのが、2004年6月の大相撲中国公演だった。また、翌2005年10月大相撲ラスベガス公演でも二人は会話をしている。その内容とは何だったのか。また、千代の富士が61歳の若さで死去する直前、白鵬が初めて千代の富士率いる九重部屋に出稽古に行った時に明かされた「横綱の心得」とは? その驚きの真実は「週刊アサヒ芸能」で明かされている!