御嶽海(みたけうみ)の大関昇進場所となった2022年一月場所だが、宮城野部屋の面々の活躍に注目する間垣親方(元横綱白鵬)は、
「宇良(うら)、阿炎(あび)、豊昇龍(ほうしょうりゅう)関の陰で、印象は薄いですが、我が弟弟子の石浦(いしうら)関の11勝は、彼らに匹敵する活躍だった」と力を込める。
「『潜る相撲だけではダメ。強く当たって相手に圧力を掛ける相撲に変えなさい』と言ってきた成果がやっと現れてきた」と手応えを示し、さらには宮城野部屋の注目株として、一月初場所に三段目で優勝した向中野(むかいなかの)を推す間垣親方である。
「三重県伊勢市出身の19歳です!鳥取県城北高校卒業で石浦の後輩にあたります。本人曰く『今年中に関取になりたい』の目標を掲げており、北青鵬(ほくせいほう)、雷鵬(らいほう)と共に、我が宮城野部屋の土俵は活況を呈しており、楽しみになってきました!」
そんな“間垣親方の眼”で始まる同時進行相撲マンガ「白鵬本紀」第38番「旭鷲山の弱音」は2月1日発売の「週刊アサヒ芸能」2月10日号に掲載。物語は、2004年五月夏場所に、東前頭16枚目の幕内力士として挑む白鵬の物語に移る。白鵬が当時を語る。
「十両から幕内に上がる頃は、毎日、相撲を取ることが楽しかったです。巡業では『1日平均20番、5日間で合計100番稽古する』といった目標を立てました。でも稽古をする力士が多いのに、土俵は1つだけでした。それで炎天下、土俵の外で、申し合いをして、なんとか、その目標をクリアしていました」
猛稽古の成果は、出稽古の際にも如実に現れた。出稽古の先は大島部屋。師匠は大島親方(大関・旭國〈あさひくに〉)である。当時は、モンゴル力士の先駆者である旭鷲山(きょくしゅうざん)、旭天鵬(きょくてんほう)、旭天山(きょくてんざん)が在籍。しのぎを削っていた。
「旭鷲山関、もう一丁お願いします」と白鵬。「イヤ、俺はもうダヴァとの稽古はごっつあんだ!」と応じる旭鷲山。「そんなこと言わないで…」「俺じゃもうお前の稽古は務まらないだよ!」と、弱音を吐く旭鷲山であった。
ちなみに、あの白鵬の初恋の「運命の赤い糸」のその後についても「アサヒ芸能」2月10日号を読んでのお楽しみ、である。
「土俵の上では鬼になって勝ちにいくことこそが横綱相撲だと考えていました」
2021年10月1日(金)東京・両国国技館で開かれた引退記者会見での白鵬の言葉である。
「横綱になれた頃は、自分の理想の相撲である『後の先(ごのせん)』というものを追い求めたいと思っていました。しかし、度重なる怪我に見舞われ理想とする相撲が取れなかったことも事実です」
若き日の白鵬のエキサイティングな日々に加え、この告白の真実も、トクマコミックス「白鵬本紀」第2巻「白鵬のいちばん長い日」で、さらに詳細に語られる。