詰めかけた報道陣、音楽関係者の数、およそ500人! 93年4月1日、東京・目白の「ホテル椿山荘東京」で行われた、YMOの「再生記者会見」会場は異様な熱気に包まれていた。
そんな中、いささかポンコツなロボットに促された3人が、「今眠りから覚めた」との演出で、手錠に繋がれ、ベッドインしたままステージに現れると、場内から大きなどよめきが起こる。
周知のように、YMO(イエロー・マジック・オーケストラ)は、80年代のテクノ / ニュー・ウェイヴのムーブメントをけん引した、細野晴臣、高橋幸宏、坂本龍一の3人によるテクノ・トリオ。78年11月にアルファ・レコードから「イエロー・マジック・オーケストラ」でデビューすると、83年に「散開」(解散)するまでの5年間、音楽だけでなく、ファッションの分野でも日本を席巻した。いわば80年代を象徴するスーパーグループだった。
ただ、解散後は3人が揃ってメディアに登場することはなかった。いきおい、この再結成会見が俄然、注目されたというわけだ。
ところが、同会見では4月28日発売予定の「ポケットが虹でいっぱい」のサンプルカセットと、彼らの歴史が記載されたパンフレットが渡されたものの、肝心な音源の紹介はなし。また、再結成は、テクノブーム再燃の兆しがあることや、海外からの強いラブコールがあったためと説明するのだが、
「3人ともやることがいっぱいで、ずっと(再結成に)抵抗感があった」(細野)
「(再結成の)噂に負けたんですよ。ただ、レコーディングをして坂本君がずいぶん大人になったな、と思いました」(高橋)
「再結成には戸惑いもあったが、お祭りのような時間が過ごせれば…。ジュリアナ・テクノではないYMOの音楽を楽しんでもらいたい」(坂本)
結局、彼らの口から明確な再結成の動機が語られることはなく、音楽専門メディアの記者たちにとっては不完全燃焼な会見になってしまった。
案の定、一部メディアからは、
「今、再結成する理由がわからない」「結局は柳の下のドジョウを狙って!」「テクノという言葉が旬のうちにもうひと稼ぎ」
等々、辛辣な文字が並んだものだが、当時取材した音楽ライターは、こう語っていた。
「再結成が本人たちの意思なのか、あるいはまわりにいる、音楽をビジネスとしか考えない人たちの策略なのかはわかりませんが、YMOのすごさはなんといっても、当時の時代の空気を体現していたこと。だからこそ、彼らの影響は音楽だけに留まらなかった。そう考えると、やはり『今さら感』は否めないですよね」
とはいえ、6月の東京ドームチケットは即完売。「雑音」を跳ね返す底力を見せたのだった。
(山川敦司)
1962年生まれ。テレビ制作会社を経て「女性自身」記者に。その後「週刊女性」「女性セブン」記者を経てフリーランスに。芸能、事件、皇室等、これまで8000以上の記者会見を取材した。「東方神起の涙」「ユノの流儀」(共にイースト・プレス)「幸せのきずな」(リーブル出版)ほか、著書多数。