1995年3月に「この世の花」でデビュー、いきなり200万枚のミリオンヒットを記録し、あっという間に人気歌手の仲間入りを果たしたのが、当時17歳の島倉千代子だった。
だが、歌手としての栄光の陰には、常に波乱の人生がつきまとっていた。25歳で元阪神タイガースの藤本勝巳と結婚したが、2度の妊娠中絶を経て5年で離婚。実家に戻ると、母親から「家に入れない」と追い出され、その後も最愛の姉が入水自死。また、知人らの借金の保証人になったことで10億円を超える借金を背負い、返済のため、寝る間も惜しんで働いたことはよく知られる話だ。
だが、そんな肉体的、精神的疲労のなか、静かに忍び寄ってきたのが、がんだった。
1993年3月9日。島倉は東京・赤坂の日本コロンビアで記者会見を開き、乳がんであることを告白した。
「病名を知らされたときは、ショックで倒れそうになりました。でも、病気を知ってから、まず何をすべきかと。ここ(胸を指して)にがんがあるんだと認めることから始めました。私が闘っているのと同じように、みなさんも病気に負けないで精神力で頑張ってください」
彼女はさらにこう続けた。
「色々あり過ぎた人生に、またこんな試練が待っているなんて。神様、助けて、と毎日祈っています。でも、私には歌しかない。また歌うために頑張ります」
しかし、そんな島倉が、再びがんに侵されたのは2010年のこと。3年後の2013年には肝硬変を併発。入退院を繰り返し、同年11月8日、ついに帰らぬ人となった。享年75。
11月14日、東京・青山葬儀所でしめやかに執り行われた葬儀では、お気に入りだった紫の着物姿でほほ笑む遺影の前に、彼女が長年愛用していた白いマイクが置かれていた。
そして、会場に流されたのが最後のメッセージだった。
〈自分の人生の最後に、もう2度と見られないこの風景を見せていただきながら歌を入れられるって、こんな幸せはありませんでした〉
彼女が人生の最後に歌った歌──。それがデビュー60周年に向け、亡くなる3日前に自宅でレコーディングされた新曲「からたちの小径」だった。からたちの花言葉は、「思い出」。
その歌には、島倉千代子という女性の、75年の人生すべてが凝縮されているようだった。
(山川敦司)
1962年生まれ。テレビ制作会社を経て「女性自身」記者に。その後「週刊女性」「女性セブン」記者を経てフリーランスに。芸能、事件、皇室等、これまで8000以上の記者会見を取材した。「東方神起の涙」「ユノの流儀」(共にイースト・プレス)「幸せのきずな」(リーブル出版)ほか、著書多数。