デビュー50周年を迎えた矢沢永吉が、8月27日から全国スタジアム&ドームツアー「MY WAY」をスタートさせた。現在、矢沢は72歳。ツアー中の9月14日に73歳の誕生日を迎えることになるが、むろん現役バリバリである。それもカリスマ・ロックスターと言われる由縁だ。
そんな矢沢の原点は、キャロル。1972年にデビューし、75年の解散までの実質2年3カ月で、日本のロックの歴史そのものを塗り替えてしまった、伝説のバンドだ。
メンバーは矢沢(b,vo)、ジョニー大倉(g.vo)、内海利勝(g)、ユウ岡崎(ds)=のちに相原誠が参加=の4人。
高校卒業と同時に「卒業証書を破り捨て」広島から最終電車で東京へ向かった矢沢が、憧れだったビートルズの出身地リバプールの香りを感じた港町・横浜で途中下車。楽器店に貼り付けたメンバー募集で集まったのが、ジョニーと内海だった。
そしてフジテレビ「リブ・ヤング」のジルバ&リーゼント特集に飛び入りした彼らに目をつけたのが、ミッキー・カーティス。そのプロデュースで73年3月、キャロルは「ルイジアナ」でデビューすることになる。
キャッチーだが、誰もが口ずさみたくなる8ビート。英語と日本語を組み合わせた、甘酸っぱいような独特の歌詞が若者のハートを鷲づかみし、彼らはこの1曲で、当時のロック界を二分していた「日本語派VS英語派」論争を終わらせることになる。
だが、新ヒーロー誕生があまりにも衝撃的だった半面、メンバー間の軋轢も大きく、その活動は短命に終わってしまう。
そんな彼らが日比谷野音で行った解散コンサートの模様を収録したのが、75年5月に発売された名作アルバム「燃えつきる─キャロル・ラスト・ライヴ!! 1975.4.13」だ。
朝から小雨がパラつき、花冷えする日。野音に集まったオーディエンスは7000人。エキサイトした観客同士の喧嘩や暴動に対応し、矢沢と親交のあったバイク・チーム「クールス」が警備係として動員された。
そんな中で登場した解散ライブは、お馴染みの「ファンキー・モンキー・ベイビー」からスタートし、途中のゲスト紹介を挟んで16曲を熱演。ラストの「ルイジアナ」で会場の熱狂はピークに達し、残すはアンコール3曲のみ。
ところが最後の曲となった「ラスト・チャンス」終了直後、演出効果で放った爆竹の残り火が舞台セットに燃え移り、ステージ天井まで炎上するというアクシデントが発生したのである。アルバム最後に残る、熱狂するファンの声に交じって聞こえるサイレンの音はまさにドキュメンタリーだ。
文字通り、このステージで燃えつきたキャロル。だが彼らがいなければ、日本のロックは別の形に発展していたかもしれない。それがキャロルだったのだ。
(山川敦司)
1962年生まれ。テレビ制作会社を経て「女性自身」記者に。その後「週刊女性」「女性セブン」記者を経てフリーランスに。芸能、事件、皇室等、これまで8000以上の記者会見を取材した。「東方神起の涙」「ユノの流儀」(共にイースト・プレス)「幸せのきずな」(リーブル出版)ほか、著書多数。