芸能

「生RC」を体験しよう!RCサクセション「伝説のライブ盤」がアナログ復刻/日本音楽シーン「名作裏面史」

 筆者が初めて、忌野清志郎率いる生のRCサクセションを「体感」したのは、1980年1月。ニューシングル「雨上がりの夜空に」の発売記念で、東京・渋谷「屋根裏」で行われた4DAYSライブの最終日だった。

 屋根裏は当時、雑居ビルの3階にあり、それこそ100人も入ればいっぱいになる「ハコ」だった。ところが、RCはこの4日間で800人という空前の観客動員数を記録したのだ。

 そんな勢いに乗り、4月に霞が関にある久保講堂で開催したワンマンライブの模様を収録した、新生RC初のアルバムが、手垢のついた表現ではあるが、まさに「日本ロック史上に燦然と輝くライブ盤」として知られる、「RHAPSODY」(同年6月5日発売)だった。

 この日のステージはメンバー6人に加え、後に一緒にツアーを回ることになる、生活向上委員会の梅津和時が、アルトサックスで参加。荒削りではあるが、メンバー紹介を兼ねた「よォーこそ」から、代表曲となる「雨上がりの夜空に」を含め、ラストナンバー「キモチE」まで、フルスロットル全開で突っ走る勢いは、今でも聴く者すべてを一瞬にして熱狂のライブ会場へ連れて行ってくれるはずだ。

 同時に、緩急織り交ぜて構成される本作を聴くにつれ、その後のRCのライブにおける定番スタイルが、ほぼ確立されていたように感じるのは私だけはないだろう。

 久保講堂のライブを最後に、「ライブハウスでメタメタ弾きまくっていた~」と紹介されるフリーキーなギタリスト・小川銀次が脱退。その一方、キャラクターからは想像できないが、実はキャリアのスタートはジャズ・ミュージシャンという、G2ことゴンタ2号が正式にメンバーとして加入、さらにショウアップされたステージに磨きがかかっていくことになる。

 とはいえ、当初、レコード会社やスタッフからは、エレキ化した第一弾としてはスタジオ・アルバムを、との声があったのだとか。だが、忌野清志郎が、スタジオ録音で音をいじられることを嫌い、敢えてライブ盤の発表に踏み切ったという逸話も残されている。

 そんなRCのアルバム「RHAPSODY」のアナログ復刻版が、前後に発売された「シングル・マン」(76年4月)、「PLEASE」(80年12月)、さらに、7inchシングル「スローバラード」「雨あがりの夜空に」と同時に、タワーレコード全店で12月3日に発売されることになった。

 RCがライブバンドへと飛躍するきっかけとなった1枚で、是非、80年代の「生RC」を体験してみてはいかだだろうか。

(山川敦司)

カテゴリー: 芸能   タグ: , , , ,   この投稿のパーマリンク

SPECIAL

アサ芸チョイス:

    デキる既婚者は使ってる「Cuddle(カドル)-既婚者専用マッチングアプリ」で異性の相談相手をつくるワザ

    Sponsored

    30〜40代、既婚。会社でも肩書が付き、責任のある仕事を担うようになった。周囲からは「落ち着いた」なんて言われる年頃だが、順調に見える既婚者ほど、仕事のプレッシャーや人間関係のストレスを感じながら、発散の場がないまま毎日を過ごしてはいないだ…

    カテゴリー: 特集|タグ: , |

    これから人気急上昇する旅行先は「カンボジア・シェムリアップ」コスパ抜群の現地事情

    2025年の旅行者の動向を予測した「トラベルトレンドレポート2025」を、世界の航空券やホテルなどを比較検索するスカイスキャナージャパン(東京都港区)が発表した。同社が保有する膨大な検索データと、日本人1000人を含む世界2万人を対象にした…

    カテゴリー: 社会|タグ: , , , |

    コレクター急増で価格高騰「セ・パ12球団プロ野球トミカ」は「つば九郎」が希少だった

    大谷翔平が「40-40」の偉業を達成してから、しばらくが経ちました。メジャーリーグで1シーズン中に40本塁打、40盗塁を達成したのは史上5人目の快挙とのこと、特に野球に詳しくない私のような人間でも、凄いことだというのはわかります。ところで、…

    カテゴリー: エンタメ|タグ: , , |

注目キーワード

人気記事

1
長与千種がカミングアウト「恋愛禁止」を破ったクラッシュ・ギャルズ時代「夜のリング外試合」の相手
2
暴投王・藤浪晋太郎「もうメジャーも日本も難しい」窮地で「バウアーのようにメキシコへ行け」
3
日本と同じ「ずんぐり体型」アルプス山脈地帯に潜む「ヨーロッパ版ツチノコ」は猛毒を吐く
4
侍ジャパン「プレミア12」で際立った広島・坂倉将吾とロッテ・佐藤都志也「決定的な捕手力の差」
5
怒り爆発の高木豊「愚の骨頂!クライマックスなんかもうやめろ!」高田繁に猛反論