「入院中、普通の人なら1本で済む麻酔が効かなくて、3本も打っちゃいました。ほんと、デブは嫌ですね」
09年3月22日に行われた東京マラソンのレース中に倒れ、一時は心肺停止に陥ったタレントの松村邦洋が、退院後の4月3日、ニッポン放送で復帰記者会見を開いた。
松村がレース中に突然立ち止まり、口から泡を吹いて倒れたのは、スタートから約15キロ付近。レース開始から2時間20分後のことだったが、取材中の局アナが119番通報した。この時点ですでに心肺停止状態で、大会スタッフがAED(自動体外式徐細動器)を使って呼吸を回復させ、そのまま渋谷区内の病院に救急搬送されることになったのである。
所属事務所によれば「原因は急性心筋梗塞による心室細動」。実は松村、前年にも東京マラソンに出場していた。しかし途中棄権したことで、今回は是が非でも完走することを目指し、早くからテンションがアゲアゲの状態だったという。松村と親しいディレクターに話を聞くと、
「一時期、体重が140キロまで増え、医師から『このままでは長生きできない』と言われたことで、ダイエットに挑戦していた。07年夏には『ゴールドコーストマラソン』に出場し、9時間をかけて完走したこともあって、今回も100キロ近くまで体重を落としていましたからね。事務所関係者いわく、本人がいちばん驚いているという話でした」
奇跡の生還会見に集まった報道陣は80人。テレビカメラ13台が並ぶ前で、
「野菜を大量に食べてダイエットしていた時、なじみのレストランに行ったら、スタッフが僕を見ながらインカムで『YDが来た』と叫ぶんです。てっきり『野菜が大好き』の隠語かと思ったら、『野菜ドロボー』のことでした。ハイ!」
自虐ネタで会場を沸かせた松村は、お馴染みの掛布雅之やたけしネタを披露。完全復帰をアピールしたのだった。
とはいえ、デブタレは太ってナンボの世界。当時、松村は伊集院光や石塚英彦、パパイヤ鈴木らと「デブタレ四天王」と呼ばれ、大食い番組などに出演していた。和田アキ子からは「ダイエットなんかしたら、仕事なくなるぞ」と忠告されてもいる。体重を落とした上に、心肺停止騒ぎとなれば、テレビ局としては使いづらくなろう。
「つまり、この会見での完全復帰アピールは、そんな危機感があったからこそでしょう。会見では『体重が70キロくらいになったらまた走りたい』と宣言していましたが、ダイエットしたことで『ものまねレパートリーが減った』とこぼしていましたからね。健康を優先すれば、ネタが減ってしまう。悲しいかな、そこがデブタレの辛いところなんです」(前出・ディレクター)
松村にとっては「命あってのモノマネ」を実感させられる騒動だった。
(山川敦司)
1962年生まれ。テレビ制作会社を経て「女性自身」記者に。その後「週刊女性」「女性セブン」記者を経てフリーランスに。芸能、事件、皇室等、これまで8000以上の記者会見を取材した。「東方神起の涙」「ユノの流儀」(共にイースト・プレス)「幸せのきずな」(リーブル出版)ほか、著書多数。