逆に、リーディング上位騎手の騎乗馬を見ると、「もし、これに武が乗ったら、また200勝するだろうな」とつくづく思う。が、現実にはそうなっていない。「いい騎手がいい馬に乗る」のではなく「いい馬に乗るのがいい騎手」だからだ。怪我の痛みのためパフォーマンスが落ちた間に、「武豊」のブランド力も落ちてしまったことが、彼にとっては痛い。こうなったら、取り戻すしかない。いかにして取り戻すか。繰り返しになるが、自分ひとりでできることではなく、それは何より馬の力があってこそ可能になることだ。
4月6日、彼にその力を与えてくれるキズナが、昨秋の凱旋門賞以来、ほぼ半年ぶりの実戦を迎えた。
舞台は、阪神芝2000メートルの大阪杯。昨年の菊花賞を圧勝した福永祐一のエピファネイア、牝馬GIを3勝した、弟の武幸四郎が乗るメイショウマンボ、さらにショウナンマイティ、ビートブラックといった、GI顔負けの超豪華メンバーによる争いとなった。
ゲートが開くと、キズナは最後方でエネルギーを温存する、自分の形で競馬を進めた。1000メートル通過は1分0秒5。前の馬にも後ろの馬にもチャンスのある平均ペースだ。
3、4コーナー中間の勝負どころで、ライバルのエピファが動いて、先行馬をとらえにかかった。ワンテンポ遅れて武はキズナにゴーサインを出した。するとキズナは外からグーンと伸び、ラスト200メートル地点でエピファに並びかけた、と思った次の瞬間、置き去りにした。そこからさらに加速を続け、最後の数完歩は流すようにして、2着のトウカイパラダイスを1馬身半切って捨てた。
強いのなんの。キズナの凄みある走りに内の馬が怯んで動けなくなったかのようでもあった。
ゴール前では歓声よりも、迫力に圧倒されたどよめきと、強烈すぎた末脚に呆れたため息のほうが大きかったぐらいだ。
もともと強かったが、これほど破壊力のある末脚を身につけたのは、3歳秋の成長期を広々としたシャンティイで過ごしたことも作用しているのだろう。
今のキズナは、去年の凱旋門賞では及ばなかったトレヴやオルフェーヴル級の力をつけている。そう確信させられた一戦だった。
が、レースを終えた武に、あまり笑顔はなかった。
秋の大きな夢──凱旋門賞制覇が現実のものになりそうな手応えをしっかり得たがために、喜びや安堵感より緊張感が先に来たのだろう。
その彼を見て、私は、ディープインパクトの古馬初戦となった06年の阪神大賞典を思い出した。ディープは、唯一、武に本物のプレッシャーを与え、気持ちを大きく揺さぶりつづけた馬だ。「ディープに乗った直後だけは普通の精神状態ではいられなかった」と彼自身話しているように、ディープでのレースを終えたばかりの彼には、人を遠ざける何かがあった。
キズナも、父同様、武の気持ちを特別にするという点で、偉大な父の域に近づいたと言えよう。
折り合いに不安がないので天皇賞・春の3200メートルは大丈夫だろうし、大阪杯の阪神内回りより、京都外回りのほうが明らかに向いている。ジャスタウェイ、ジェンティルドンナらとぶつかる宝塚記念は、久しぶりに高揚感のあるGIになりそうだ。そこで主役となり、秋には世界制覇を狙う武豊・キズナから、目が離せない。
◆作家 島田明宏