不調にあえげばあらゆる原因が詮索され、復活を遂げれば我がことのようにファンが歓喜する。武豊のスター性は誰もが認めるところだが、87年デビュー以降の27年間、武豊以外にスターと呼べる騎手は誕生していない。それはなぜだ!?
「プロフェッショナルという言葉を、あれほど早くから意識した騎手もいないんじゃないかな」
こう語るのは競馬評論家の丹下日出夫氏だ。89年桜花賞、1番人気のシャダイカグラで見せた“あえての出遅れ”は、デビュー3年目らしからぬ騎乗だった。01年エ女王杯では乗り難しい先行馬トゥザヴィクトリーを馬群から離し、直線の末脚に賭けて勝利。皐月賞のナリタタイシン、最近ではダービーのキズナなど、追い込んで勝たせたGI馬は数知れない。安全な先行策を取りたくなるGIレースで一か八かの騎乗ができる騎手、それが武豊だ。
「馬に乗ってない時は柔和な笑顔だけれど、騎乗すれば冷徹な勝負師になる。他の騎手とは意識が違うよね。若い頃からレース後、関係者に『次は芝の短距離がいいですよ』などと進言していたけど、それが実に的を射ており、気がつけば『豊の言うとおりだ』となる」(前出・丹下氏)
有馬記念のオグリキャップに「芝での調教を進言し、復活優勝させた」と、著書「『武豊』の瞬間」に記した作家の島田明宏氏は、武豊の記憶力に感心する。
「若い頃から“歩く競馬四季報”と呼ばれていました。10年前の未勝利戦のビデオでも『ここで僕がステッキを持ち替え、馬群に入れたら○○さんが下げた』など、全て覚えているんです。レースだけじゃなく、例えば海外遠征の際、競馬場のガードマンに『この前、シカゴにいた人だよね』と。そこは別の競馬場なのに一度見たガードマンの顔まで覚えている人ですから」
この記憶力がレース運びや乗り替わりの騎乗で生き、3600もの勝利を積み重ねてきたわけだ。
さらに島田氏は、騎乗技術についても「ぬきんでている」と、こう断言する。
「ハナ差など際どいゴールの瞬間、彼は手綱を前に投げる。つまりゴール寸前、彼はどこにもつかまっておらず、足で鐙に立っているだけ。キズナがニエル賞を短頭差で勝った時もそうでしたね。手綱に頼らなくても重心移動だけで馬の操作ができるため、ハミで支点を作らず乗ったほうがいい馬の場合は手綱に触れているだけなんです。こんな技術を持った騎手は世界に何人もいないと思いますよ。落馬の危険もあり他の騎手は怖くてできません」
その騎乗フォームも美しい。かつて“ミスター競馬”と呼ばれた故・野平祐二氏は「彼だけはすぐに見つけられる。彼が乗ると馬のフォームまで美しくなる」と語っていたが、“魅せる”ことを心がけているのもスターならではだ。
「それに比べて、最近はお尻をドッスン、ドッスン上下させる追い方をよく目にする。岩田康誠を筆頭に蛯名正義、幸英明もそう。岩田が結果を出して以降、“岩田乗り”と言われるけど、競馬を知らない人に『見てくれ』と言えるフォームじゃないよね。去年の阪神JFでも単勝1.7倍に支持されたハープスターの川田がドッスンしなければ、逆にハナ差で勝っていたかもしれない」(スポーツ紙記者)
その川田は、昨年のリーディング2位、今年も3位(1月26日時点)につけている。しかし、26日に油断騎乗で騎乗停止(2日間)を受けているようでは、超一流への道は遠そうだ。
武が超一流という証しに5度のダービー制覇という勲章は大きい。一方、昨年のリーディング1位の福永祐一は、牡馬クラシックは昨年の菊花賞のみ。だが、ダービーを制するチャンスは10年前にあった。
「03年、同厩舎のネオユニヴァースとエイシンチャンプの2頭のお手馬が重なった際、福永はエイシンチャンプを選択した。ところが、ネオユニヴァースが皐月賞とダービーを制している。豊さんはそういった“選択ミス”をしないし、菊花賞を勝ったのもデビュー2年目。マイネルフリッセが出走を取りやめたことで18頭目にスーパークリークが滑り込んだ」(前出・記者)
こうした運をつかむのも、スターの証しなのだ。