かつて沖縄県には、2大赤線地帯があった。宜野湾市の真栄原社交街(通称:新町)と、沖縄市の美里地区の吉原社交街(通称:コザ吉原)である。いずれも米兵相手の売淫街として始まり、やがて日本人観光客向けの歓楽街として全国的に有名になった。
しかし09年頃に始まった、沖縄県警と地元市民による「浄化活動」により、真栄原社交街は壊滅状態に陥った。12年には、吉原社交街も壊滅に追い込まれた。あれから10年、沖縄のちょんの間街はどうなったのか。地元関係者が証言する。
「真栄原社交街は壊滅後、メンズエステをオープンさせるなど再興を図るものの、近隣住民からのたび重なる苦情によって摘発されてきました。廃墟となった置屋の借り手はなかなかつかず、建物の老朽化が問題視されるように。4~5年前から旧置屋を取り壊してアパートが建設されるなど、住宅地になった店舗もあります」
かつての社交街の面影はなく、すっかりなりを潜めていた。その一方で、密かに営業を続けている置屋もあるという。地元関係者が続けて明かすには、
「モノレール安里駅前にある栄町社交街です。地元の人以外にはあまり知られておらず、早い時間に若い女の子が出勤すると、常連客ですぐ埋まってしまいます。夜にいるのはオバー(お婆さん)ばかり。自ら手招きして客引きしている。2つの社交街が摘発された時、栄町だけは警察の目を逃れたんです。今も公にせずに、営業を続けていますが…」
そんな中、沖縄市の吉原社交街が再開した、との噂を聞き、現地へと赴いてみた。吉原社交街は、コザの中心地からタクシーで10分ほどの場所にある。
昼間はひっそりと静まり返っているが、夜9時を過ぎると置屋のドアから女の子が顔を出していたり、窓越しにピンク色の照明がうっすらと灯っているのが見える(写真は、復活した吉原社交街)。その灯りを求めるかのように、社交街内の狭い通りに、何台かの車が往来していた。ナンバーを見る限り、地元客のようだ。
「週末には15店舗ほどの置屋が営業しています。堂々と営業できないので、市も暗黙の了解ですね。浄化作戦で社交街一帯が摘発された後、沖縄中部の性犯罪事件は急増しました。この一帯を住宅街に再開発しようという話も出ていたのですが、遊郭があった場所に住みたくないという地元民の声が相次ぎ、うまくいかなかった。14年に今の沖縄市長に変わってからは風俗店の規制が緩くなり、2~3年前から復活したようです」(コザ吉原周辺のスナックのママ)
古くからある沖縄文化を完全に消すことは難しいようだ。