今年は映画賞が楽しみである。ベテラン女優の活躍が顕著で、だから、特に女優賞がどうなるか気になる。若手の活躍も目立つから、ベテラン、若手のつば競り合いに注目である。
ベテラン勢では、「PLAN 75」の倍賞千恵子、「百花」の原田美枝子の名がすぐに浮かぶ。加えて、公開されたばかりの「千夜、一夜」の田中裕子の名が挙がってくる。「ノイズ」「冬薔薇」「犬も食わねどチャーリーは笑う」で、個性豊かに脇に君臨する余貴美子も入れたい。
日本の映画史に燦然と輝く女優たちである。実年齢は、倍賞が80代、原田、田中、余が60代。先の作品でもその年代の女性と重なる役を演じて、4人の女優が新しい演技の境地を切り開いていることに驚く。と同時に、感動もする。ここでは「千夜、一夜」の田中に触れる。
田中は30年の長きにわたって、失踪した夫を待ち続ける妻・登美子を演じる。30年という歳月はともかく、夫を待ち続ける妻という設定は、過去の邦画で幾度となく描かれている。その場合、別の女性の存在が大きいこともあった。そこから、男女の愛憎劇に進行するのである。
今回、今日的だと思ったのは、夫の失踪の理由として、他の女性と一緒に家を出たようにはなっていないことだ。彼女の頭には、夫の不倫もかすめるとは思うが、その部分が強く描かれはしない。北の島が舞台なので、拉致の疑いもある。
つまり、いなくなった事実そのものが、彼女に重くのしかかる。ひたすら忍耐強く、待つという姿勢が生まれる。別の女性の存在の可能性があれば、その思いの質は変わり、全く別の作品になっただろう。
ではその役を、田中はどう演じたのか。暗く、鬱屈した表情を大きく変えることはない。笑顔は一度も見せない。鉄面皮という言葉があるが、それとも違う。時が止まってしまった表情、とでも言ったらいいか。
ときに感情を高ぶらせることもあるが、無表情の上に、感情の波が押し寄せた感じがあった。両者は相反しない。近寄る男にも、表面上はともかく、内面は動じてはいない。先の表情のままに、首尾一貫している。
狂気の淵へと向かう瞬間も含め、無表情の中に揺らぎはあるが、どこか、この世とは別の時を歩んでいるように見えて仕方なかった。
夫を待ち続けるという姿勢の中で、愛というわかりやすい概念、意味を超えていく瞬間が何度もあったように思う。この世(自身)と別の時間(夫)の皮膜を行き交っている、と言ったらいいだろうか。
田中裕子は、そのような人の実存が、ギリギリせめぎ合う場所まで越境してみせた。ラストが象徴的である。映画に魂が宿るとは、このことであろう。
(大高宏雄)
映画ジャーナリスト。キネマ旬報「大高宏雄のファイト・シネクラブ」、毎日新聞「チャートの裏側」などを連載。「昭和の女優 官能・エロ映画の時代」(鹿砦社)など著書多数。1992年から毎年、独立系作品を中心とした映画賞「日本映画プロフェッショナル大賞(略称=日プロ大賞)」を主宰。2022年で31回目を迎えた。