昨年12月16日から東京などで公開され、圧倒的な評価を得ている「ケイコ 目を澄ませて」を、ほぼ満席の映画館で、年明けに見た。評判どおりだった。聴覚障害を持つ女性ボクサー(岸井ゆきの)を中心にした話だ。
「ボクシング映画にハズレなし」
ボクシング映画が公開されるたびに、そう言ってきた。今回も、その言葉を繰り返す。ただ、これまでのボクシング映画とは異なる魅力にあふれる。主人公・ケイコが置かれている境遇ゆえである。
映画が始まるや、ある音が響いてくる。ケイコが、ペンで文字を書いているのだ。ザク、ザクと聴こえる。ここばかりではない。冒頭から様々な音が、やけに耳にへばりついてくる。いつも見る映画の感覚と違う。それは、すぐに意図された音の演出だということがわかる。
最初は、こう思った。ケイコには周囲の音が聴こえない。そこは映画の重要なポイントなので、ここを踏まえて観客の側にこそ、日常であふれ返っている多くの音の響きを感じてもらう。そのことを通じて、ケイコへのいろいろな思いが投影されていくようになっていると。
間違ってはいないだろうが、しばらくして、いや、そうではないと思い始めた。ひょっとして、観客が聴いている映画の音を、ケイコは心の中で感じているのではないか。全く勝手な想像だが、そう思うと四方八方から、全く独特な息遣いをする作品に見えてきた。
といって、映像が音に翻弄されているというわけではない。本作は実に、名シーンの宝庫なのである。
ケイコがボクシングジムのトレーナー(松浦慎一郎)を相手にパンチを繰り出す、長回しのシーン。ジム会長(三浦友和)と並んで練習に励む2人を、後景からとらえたシーン。音同様に、頭にこびりついて離れない。
ボクシングの場面ばかりではない。体調を崩した会長が道中の階段の手すりに手を添えながら妻と降りていき、ケイコと鉢合わせた後、通り過ぎた彼女を振り返るシーン。
そしてなんといってもラスト近く、ケイコがある女性と出会うシーン(これ以上は書けない)。まだまだ、いっぱいある。
意外なのは、ボクシング映画ではあるのだが、非日常としてのボクシングの試合が見せ場にはなっていないところだ。様々な音の多くが日常そのものであるように、ケイコのボクシングもまた、彼女の仕事(ホテルの客室清掃)とともに、日常そのものとして描かれていくといった感じがある。
優れたボクシング映画を見た後は、必ずボクシング(もちろん、ポーズだが)をしたくなる。映画の活力が体を貫き、見終わると、それがボクシングという形になる。
だが「ケイコ 目を澄ませて」は、それとはちょっと違う。ボクシングが体を刺激するというより、体の奥深いところに居座るのだ。不思議な心持ちである。ボクシング映画の新たな境地、いや映画の新たな境地を作ったと言っていいと思う。
(大高宏雄)
映画ジャーナリスト。キネマ旬報「大高宏雄のファイト・シネクラブ」、毎日新聞「チャートの裏側」などを連載。「昭和の女優 官能・エロ映画の時代」(鹿砦社)など著書多数。1992年から毎年、独立系作品を中心とした映画賞「日本映画プロフェッショナル大賞(略称=日プロ大賞)」を主宰。2022年には31回目を迎えた。