あまりこの作品の評判を聞かないが、見どころが盛りだくさんである。藤竜也が主演を務めた「高野豆腐店の春」だ。「こうやどうふてん」ではない。「たかのとうふてん」と読む。店の名前だ。
80歳を超えて、主演を張れる俳優は少ない。しかも今年は「それいけ!ゲートボールさくら組」に次いで2本目の主演作だ。2023年が、藤の何回目かのブレイクの年であることは覚えておきたい。
広島の尾道を舞台に、店主の辰雄(藤)と娘・春(麻生久美子)の話を描く。出戻りの春の縁談話と、辰雄自身の女性(中村久美)との交流が交差する。春の縁談をめぐっては、近隣の男性たちがお節介をする。今どき、そんな濃厚な関わりを持つ隣人はいないのだが、これが本作の重要なテーマになっている。
辰雄は昭和の頑固親父的な気風を持つが、実はその程度のレベルではない。後半あたりで腕力の強さが明らかになり、若い時に何度も警察に厄介になったことが知れる。昔はかなり危ない男であった。
このあたりで、藤の過去作が頭に甦ってくる。1960年台後半から70年代前半。日活で頭角を現し、準主役クラスにまで登り詰めた頃だ。チンピラやヤクザの幹部役などで、狂暴さの中に、甘さとナイーブさを併せ持つ強烈な個性を見せつけた。それらの作品群は、日活ニューアクションと呼ばれた。
中でも「野良猫ロック セックスハンター」(1970年)のバロン役が忘れられない。サングラスをかけたスタイリッシュな風貌で、酷薄さがその表情に滲む。内部の血がざわめくままに、非情な行動を繰り返す。
バロンが言う「ここは俺の遊び場だ」の名セリフに、70年代の名画座は大いに沸いたものだ。その言葉はバロンの心情の拠り所、行動の源泉であり、当時の若い観客たちも酔った。「ここ(米軍基地のある東京・立川)」と「遊び場」のつながりが、観客自身の世界でも有効、切実だと思ったのである。
「高野豆腐店の春」における藤からは、その尖りに尖った荒ぶる野卑な魅力の一端が垣間見える瞬間がある。とともに、年相応に律義で謙虚な態度、物腰が随所に散見され、心がなごむ。両者の併存、共存が、なんとも味わい深い。藤竜也の過去と今が重なり合う。
舞台は広島(県)でなくてはならなかった。辰雄を含めて、本作が原爆に翻弄された人々の話であるからだ。隣人たちの度を越した協力ぶり、辰雄の並外れた広島カープ愛、そして辰雄がいかなる思いをもって娘の春を育てたか。それら、全てがひとつの共通点で一致する。
原爆投下があったからこそ生まれただろう、共同体意識の強さだ。強く、深く結び付かなくてはならない。原爆の悲劇は、今も続いている。それを思うと、細部にわたって、全てが腑に落ちる作品なのである。
(大高宏雄)
映画ジャーナリスト。キネマ旬報「大高宏雄のファイト・シネクラブ」、毎日新聞「チャートの裏側」などを連載。新著「アメリカ映画に明日はあるか」(ハモニカブックス)など著書多数。1992年から毎年、独立系作品を中心とした映画賞「日本映画プロフェッショナル大賞(略称=日プロ大賞)」を主宰。2023年には32回目を迎えた。