第35回東京国際映画祭が、11月2日に終幕した。東京の日比谷、有楽町、丸の内、銀座エリアの各映画館、会場で、内外の多くの作品が上映された。見に行った人も多かっただろうが、ここではあるひとつのことに触れるにとどめる。
それは、14年ぶりに黒澤明賞が復活したことである。うれしい復活だ。もともとは04年から設定されたのだが、5回目を経て中断し、今年から復活した経緯を持つ。カプコンが共催会社に入った。
かつての受賞者(04年以降)は、スティーヴン・スピルバーグ、山田洋次、市川崑、ホウ・シャオシェン、ミロス・フォアマン、ニキータ・ミハルコフ、チェン・カイコーらの監督。プロデューサーでは、デヴィッド・パットナム氏が受賞している(同時受賞含む)。
今年は菊地凛子が素晴らしい演技を見せた「バベル」や、アカデミー賞作品賞に輝いた「バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)」などのアレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ監督と、「淵に立つ」や「本気のしるし 劇場版」などの深田晃司監督が受賞した。
黒澤明賞の趣旨は「新たな才能を世に送り出したいとの願いから、世界の映画界に貢献した映画人、そして映画界の未来を託したい映画人に贈られる」とのことである。その趣旨に沿った形で、今回の受賞が決まったのだろう。
ただ、ここで個人的な意見を言わせてもらえば、黒澤明という名=バリューが放つ特別な重みである。とにかく重い。
そう思える理由のひとつが、映画の「娯楽性」「大衆性」において、抜きん出た才能を発揮したことだろう。もちろん、そこにとどまることなく、芸術と娯楽双方の領域にまたがって、比類なき映画の境地、高みへと突き進んだ。
「娯楽性」「大衆性」への貢献は、先の趣旨の中にも含まれるかもしれないが、黒澤の名を冠するのなら、それを最大限に強調してもいいのではないか。そう思う。娯楽映画の分野で、すでに多大な活躍を見せてきた世界の映画人、そのただ中で悪戦苦闘している世界の映画人に対して、大いなるエールを送る。
カンヌなど、世界の主要な映画祭の各賞は、芸術的側面に、かなり比重が置かれる。映画の娯楽性や大衆性に焦点を当てた映画賞は、大きな映画祭ではそれほど多くない。だから唯一無二、それにふさわしい冠が黒澤明賞となれば、賞は俄然、強力になると思うのだ。
今後の東京国際映画祭にとって、黒澤明賞は大きな魅力、目玉となろう。世界の映画人から見ても、目指すべき栄誉ある賞になるのではないか。そうなってほしい。だから、その中身にもっと幅を持たせ、他の映画祭では想像もつかないような受賞者で、世界の映画人を奮い立たせる。
個人の名前を冠した映画賞は、その当人が最も希望する内容がふさわしい。それを推し量ることは難しいが、想像はできる。黒澤明賞にエールを送る。
(大高宏雄)
映画ジャーナリスト。キネマ旬報「大高宏雄のファイト・シネクラブ」、毎日新聞「チャートの裏側」などを連載。「昭和の女優 官能・エロ映画の時代」(鹿砦社)など著書多数。1992年から毎年、独立系作品を中心とした映画賞「日本映画プロフェッショナル大賞(略称=日プロ大賞)」を主宰。2022年で31回目を迎えた。