「中田敦彦のYouTube大学」はチャンネル登録者数400万人超。シンガポールに移住し悠々自適かと思いきや、まだテレビに未練タラタラの様子を垣間見せた。
「テレビ自体がお久しぶりなんで」と話すオリエンタルラジオ・中田敦彦が登場したのは、10月26日の「あちこちオードリー」(テレビ東京)。吉本興業を退社し、21年に家族とシンガポールへ移住した中田にとって、今回がおよそ2年ぶりの地上波バラエティー番組への出演である。
そして「よく出てくれたなと思って」と水を向けるMC・若林正恭(オードリー)とのやりとりがスタート。デビュー当時からコンスタントにテレビ番組に出続けた中田は、出演をセーブしていった様子を、次のように説明した。
「05年にデビューして15年くらいは(テレビに)きっちり出てたんですよ。そこから『シンガポール行きます』ってなって、やめた感じなんですけど。1、2年前からレギュラー番組を2本ずつ減らすっていうことをやってたら、最後の年は1本か2本くらいしか出てないですね。結果的にYouTubeをすごいやってたので『これは出なきゃね』っていうの以外は、基本的にお断りしてたんですよ」
そんな中田には、決定的な分岐点となる番組があったという。
「ご一緒させていただいた『しくじり先生』の特番で『中田歴史塾』って番組をやらせてもらった時。あれが、僕の中で本当に勝負してたんです。『これでダメだったら、俺に実力がないんだ』と。それで、自分の中で『戦力外なんだな』って感じがしたんですよ。(自分は)MCになりたくてしょうがないやつなのに、なれないんだと思って。そこから半年から1年くらい、今までと同じようにロケ行ったり、レギュラー番組をこなすような感じになっちゃって。そしたら自分の中でどんどん辛くなっちゃったんですよね」
なるほど、そうだったのか。もし「しくじり先生」のレギュラーでありつつ「中田歴史塾」がレギュラー化していたら、
「MC持たせてレギュラーになってたら、(今でもテレビの仕事を)やってたでしょうね。『俺はテレビ最後のスターになるんだ』くらいの勢いで。『俺はテレビ王。YouTube?ふざけんな!』とか言ってたと思います」
デビューしてすぐに冠番組を持ち、順風満帆だったオリエンタルラジオ。が、3年ほどで全冠番組が終了。その時に中田は、また冠番組を持つためなら何でもやる、という決意で、手相整形したり、体を張ったり、制作陣の言うことも全て聞いてきた。
その意気込みは結果的に空回りし、事務所とモメることに。そこで「これはもう、テレビには戻れない」と思ったという。
とはいえ、である。教育系YouTuberとして成功し、実業家の一面も持つ国際的タレントとなった今、もしかするとMCのオファーがあれば、テレビ復帰するのか──!?
(堀江南)