トップアイドルからバンド活動を経てトレンディ女優、そして客員教授に‥‥。39年の芸能生活を経てジュクジュクに熟した桃子は今が旬! 世界的な再ブームの波に乗って、にわかに注目されるのが伝説のアイドル発掘雑誌。桃子に続いてデビューした“妹”たちが芸能界で名を成しフェロモン攻勢を仕掛けていた。
YouTubeやTikTokで音楽に触れる機会が増えたことで、1970年~80年代のシティ・ポップブームが起きている。都内のレコードショップの店主が説明する。
「アメリカでは20年上半期にレコードの売上高がCDを上回りました。日本でも、中古市場で国内アーティストの名盤が10倍以上値上がりするケースもあり、海外の愛好家や日本の若者を中心に昭和ポップスの買い漁りが起きています」
音楽配信サービスのSpotifyでも、松原みきの79年のデビュー曲「真夜中のドア~Stay With Me」が1億回再生されるなど、シティ・ポップが再評価される中、菊池桃子(54)がひときわ脚光を集めているのだ。
「ブームに乗って、ここ1~2年の間にサードアルバム『ADVENTURE』(86年)と、バンド時代のラ・ムーのアルバム『Thanks Giving』(88年)のレコード盤を再発売。今年7月には、当時、菊池の全楽曲を手がけた作曲家の林哲司氏と再タッグを組み、コンセプトアルバム『Shadow』をリリースしています」(レコードショップ店主)
テレビ番組のオファーも増え、11月15日放送のトークバラエティー「マツコの知らない世界」(TBS系)にスペシャルゲストで出演。80年代ポップスの魅力を語る中で、「自分の声にコンプレックスを持っていた」と明かしている。だが、その声にこそ、アラフィフにして黄金期到来の秘密があると、芸能ジャーナリストの佐々木博之氏は力説する。
「舌っ足らずな独特の歌い方で、声が柔らかくて、非常に耳触りがいいんです。現代の若い世代が聴いても色褪せることなく、ハマってしまうのでしょう。それでいて、今もアイドル時代の美貌を保っているので、往年のファンの熱気も冷めない。松田聖子(60)や中森明菜(57)も人気でしたが、桃子は全てのパーツが整い、ラブリーという言葉がぴったり。クリッとした瞳と愛らしい丸顔は、アイドルの原形とも言える存在でしたね」
再ブーム前の菊池といえば、芸能人というよりも文化人の印象が強かった。
40代にして大学院に入学すると、卒業後の12年に母校の戸板女子短大の客員教授に就任。雇用政策とキャリア形成を担当し、労働問題などにも造詣が深いことで知られる。15年には、安倍晋三元総理肝いりの「1億総活躍社会」の実現に向けた国民会議の民間メンバーに選ばれた。当時の様子を政治部記者が振り返る。
「官邸で行われた第1回会合に出席した際、『芸能人ではなく、教育者としてここにいます。緊張はございません』と、他の民間議員に怯むことなく、言い切っていました。安倍元総理のお気に入りで、10年近くの間、衆参の選挙のたびに自民党から出馬のラブコールが送られましたが、多忙だったこともあり、実現には至りませんでした」
支持率ジリ貧の自民党のオファーに応じていれば、今の「桃子ブーム」はなかっただろう。