当時、人気モデルとして活躍していたSさんと、92年2月に新高輪プリンスホテルで結婚披露宴を開いた、元大関KONISHIKI。
披露宴には、各界から1600人が出席。その費用は6000万円とも言われ、当日もテレビ中継される一大イベントだった。
KONISHIKIは97年11月場所を最後に現役を引退し、年寄・佐ノ山を襲名した。だが、翌98年には協会に廃業届を提出して、タレントに転身。結婚後も2人のアツアツぶりは周囲の誰もが認めるところで、出版した著書「はだかの王様」(読売新聞社)でも、Sさんの優しさを「どんなに温かいハートの持ち主かよくわかる」と記述するなど、様々な場面で彼女に対するKONISHIKIの愛情の深さを感じたのである。
ところが、結婚から8年10カ月後の01年12月──。2人の電撃離婚が写真誌によってスクープされると、12月18日にKONISHIKIがハワイ・ホノルルのホテルで離婚報告会見を行った。
黒いTシャツにショートパンツ、「力」というロゴが入ったキャップに黒縁眼鏡で現れたKONISHIKIは開口一番、
「僕とSのことで、だいぶ日本が騒いでいるみたいで、本当に申し訳ない」
神妙な面持ちで一礼すると、
「一緒にいる間に食い違いがあって、2年ぐらい前から別居していたの。話し合って、お互いのためにはこれがいちばんいい方法じゃないかって話をね。『笑いながら離婚したいね』とお互いに話をしました」
不仲が原因ではないことを強調したのである。だが、具体的な離婚理由については、
「それはプライベートなことだから」と言葉を濁し、まさに夫婦のことは夫婦にしかわからないから、というトーンで会見は終了した。
とはいえ、元大関で人気タレントの電撃離婚だ。当然、このニュースは日本でもリアルタイムで報じられ、しかも、具体的な離婚原因が本人の口から語られなかったことで、様々な憶測が飛び交うことになる。
KONISHIKIが所属していた高砂部屋の関係者を取材すると、
「テレビを見て知ったけど、あんなに仲のいい夫婦が別れるなんて、ほんと信じられない。サリー(KONISHIKI)はね、よく、妻からもらった一番のプレゼントは『愛情だよ』なんて公言するくらい、Sさんにベタ惚れだったし。Sさんも健康管理のほか、何から何まで完璧な奥さんだった。2人だけで話し合って結論を出したんだろうけど、本当にお似合いのカップルだったから、残念でなりませんね」
そんなに仲睦まじい夫婦が、なぜ破局に至ったのだろうか。一部ではKONISHIKIと義兄の確執も伝えられたが、結局、その後も真相が本人の口から語られることはなかった。
結婚式から9年後の正月は、ハワイでひとり迎えたというKONISHIKI。その心に去来したものとは…。
(山川敦司)
1962年生まれ。テレビ制作会社を経て「女性自身」記者に。その後「週刊女性」「女性セブン」記者を経てフリーランスに。芸能、事件、皇室等、これまで8000以上の記者会見を取材した。「東方神起の涙」「ユノの流儀」(共にイースト・プレス)「幸せのきずな」(リーブル出版)ほか、著書多数。