結婚31年目にして「いよいよ不貞夫と決別か」と、このところ芸能マスコミを賑わせているのが、歌舞伎役者・中村芝翫(元・橋之助)の妻・三田寛子だ。
2人は91年11月28日、ホテルオークラで挙式。その年の6月12日、銀座東急ホテルで行われた婚約会見では「自分にとって本当に大切な人です」と語る中村の横で「挙式が待ち遠しいです」と消え入りそうな声で、恥ずかしそうに語る三田の姿が印象的だった。
ところが、いわゆる「芸の肥やし」なのか、はたまた根っからの遊びグセなのか、97年5月に「週刊ポスト」が「25歳ホステスとの密会」を報道。さらに16年9月にも「週刊文春」に、京都の人気芸妓との都内ホテル密会をスクープされることに。この翌月に襲名披露を控えていたことで、大騒ぎになった。
そして9月14日、会見を行った中村に続き、冷たい雨が降った16日には、三田も都内で報道陣の取材を受けると、夫の所業を謝罪。
「夫婦で至らない点を支え合って、助け合って参りましたが、まだまだ主人も私も至らぬ点が多々ございまして、芸事以外のことでお騒がせしてしまい、夫婦で深く反省しております。今一度、夫婦で立ち返って、よく考える時間を神様に与えていただいた襲名前の時期かと真摯に受け止めて、地に足付けて頑張って参りたいと思います」
そう話すと、幾度も頭を下げたのである。
さらに、本降りになってきた雨で、集まった報道陣を気遣いながらも、
「父が雨男として有名で、父がもっと『気を引き締めて頑張らねばいかんぞ』と言っているようで、私を守ってくださる雨のようにも思います。雨降って地固まる、ということわざがありますが、私もそういうふうに皆様に言っていただけるように、家族5人で、明るく元気で笑顔の絶えない家庭で一生懸命に頑張りますので、よろしくお願い致します」
彼女の凛とした面持ちに「梨園で夫を支えてきた妻」の歴史を感じたのだった。
ところが昨年12月、またしても「NEWSポストセブン」に、中村が京都市内のホテルで40代の一般女性と不貞密会していた、という衝撃の記事が掲載されることに。
同誌の直撃に対し、中村は「胃が悪くて(女性の部屋で)薬をもらっていただけ」と釈明するも、報道されているだけで、「女グセ」の発覚は3度目。
後日、三田は「週刊ポスト」の取材に対し、「5月頃から」別居していることを認め、
「まぁ、私も主人もいい大人ですし、本当に主人は主人、私は私で。主人が、今の生活がいいというのであれば、そうなりますし、私が決めることではないので」
と、突き放した。「戸惑いながらも丁寧に対応」してくれたと、同誌は伝えているが、離婚する、しないは夫婦が決めること。夫婦のことは夫婦の間でしかわからない。
だが三田の対応に、改めて「女は弱し、されど母は強し」ということわざが脳裏をよぎったのだった。
(山川敦司)
1962年生まれ。テレビ制作会社を経て「女性自身」記者に。その後「週刊女性」「女性セブン」記者を経てフリーランスに。芸能、事件、皇室等、これまで8000以上の記者会見を取材した。「東方神起の涙」「ユノの流儀」(共にイースト・プレス)「幸せのきずな」(リーブル出版)ほか、著書多数。