記者会見には、終始穏やかで「何を聞いてもウェルカム」というものがある一方、逆に最初から最後までピリピリムードで、質問する我々がつい言葉を選んでしまうと、いったものも少なくない。
2003年8月28日、テレビ朝日で行われた久米宏の「ニュースステーション」(以下、Nステ)降板会見も、まさに後者を代表するような、ピリピリムード漂うものだった。
TBSの人気アナだった久米がフリーになり、「Nステ」のキャスターに就任したのは85年10月。親しみやすい解説と、国家権力に対しても歯に衣着せぬ物言いで、視聴者の心をつかんできた。
だが、平均視聴率15%台をキープする一方、自民党からは「偏向報道」と批判が。99年には埼玉県所沢市から「ダイオキシン報道で野菜価格が暴落した」として、損害賠償訴訟を起こされた。社会的影響力が大きい半面、久米自身の疲弊も激しく、同年には「契約切れ」を理由に、久米がテレ朝に「降板」を申し出たとされる。
しかしこの時は、強い慰留に折れる形で続投を決意。ただ、その際に「契約はあと3年」との約束のもと、翌04年3月をもっての降板を発表するため、この日の会見になったというわけだ。
言うなれば、20年近くにわたってテレ朝に貢献してきた功労者の「卒業会見」。しかしこの日、他局の報道番組やワイドショーを排除し、「テレ朝チョイス」で集まった記者、カメラマンは50人程度。しかも会見場をテレ朝社員が取り囲み、会見終了後には、その模様が8分のビデオテープに編集され配られるという、異例の事態となった。これには久米自身も困惑気味に、
「テレ朝さんに『面白おかしく編集されて、ワイドショーでガンガン流されたらどうか』と言われて。僕としては、面白おかしく流されても本望だと思ったんですけど。ただ、これ(会見)を管理しているのは僕じゃないんで」
降板理由として「もう十二分にやった」「スタミナが切れた」「局と3年の約束をした」の3点を挙げたものの、「余力を残して辞めたい」と心境を吐露。
しかし、報道陣から「後任に内定している古舘伊知郎に何かアドバイスは?」と聞かれると、憮然とした表情で言い放った。
「(後任については)全く知りません。僕がテレ朝から聞いているのは『Nステ』がなくなるということ。番組がなくなるのに後任がいるのはどういうことなのか。答えようがありません」
会見は当日の「Nステ」で4分間にわたって放送されたが、不快感をあらわにした古館についてのやり取りがカットされていたことは言うまでもない。
(山川敦司)
1962年生まれ。テレビ制作会社を経て「女性自身」記者に。その後「週刊女性」「女性セブン」記者を経てフリーランスに。芸能、事件、皇室等、これまで8000以上の記者会見を取材した。「東方神起の涙」「ユノの流儀」(共にイースト・プレス)「幸せのきずな」(リーブル出版)ほか、著書多数。