現代でもあまりにできすぎる部下は、上司にニラまれる。だが、戦国乱世の頃には、命まで奪われることもあった。加藤段蔵という忍者、幻術使いだ。段蔵は江戸時代に流行した軍記物などに「とび加藤」「鳶加藤」「飛加藤」などの名前で登場し、大ブレイクしたが、実はその頃の人ではない。
活躍したのは、川中島の戦いで上杉謙信と武田信玄が激突していた時代だった。段蔵は方々で、一頭の牛を丸呑みにする「呑牛の術」などといった幻術を披露し、ウワサになっていた。
そのウワサを聞きつけた長尾謙信(のちの上杉謙信)が、段蔵を呼び出した。謙信はこの頃から忍者を多く抱え、諜報活動に従事させていたため、興味を示したのだ。
段蔵は「一尺余(約30センチ)の刀があれば、塀や堀を飛び越えて城中に忍び入ることができる」と豪語したので、謙信は腕試しとして重臣・直江山城守景綱の屋敷に侵入し、名刀を盗み出すよう命じた。
山城守は家の守りを固めて村雨という名前の番犬まで用意したが、段蔵はそれを毒殺。名刀を手に入れただけではなく、召し使いの女子まで連れ帰ったという。
その鮮やかな手口を恐れた謙信は段蔵を危険視し、山城守に身柄を預けて密に殺害を命じた。だが段蔵は陶器を沢山並べさせて、それをからくり仕掛けの傀儡(くぐつ)のように操って目を引かせ、術が終わって陶器の片付けをしているすきに逃亡。ライバルの武田信玄の配下・跡部大炊助を頼り、信玄に仕官した。
その数カ月後、武田家では家宝の古今集が行方不明になる事件があり、探索の結果、段蔵が犯人と判明。「信玄を殺して、旧主の長野業正恩に報いようと考え、寝所の物を盗んだ」と白状したため、殺害されたという。
変幻自在の技で名をはせた男だが、できすぎたばかりに、身を滅ぼすことになったようだ。
(道嶋慶)