女性の忍者、くノ一の元祖とされるのが、望月千代女だ。くノ一とは「女」という文字を分解すると「く」「ノ」「一」の文字になることから名付けられた。
千代女は甲賀忍者を構成する「甲賀五十三家」の宗家、望月三郎兼家の直系といわれている。のちに武田信玄の甥で、第4次川中島の戦いで戦死した信濃・望月城の城主・望月盛時の後妻となった。
望月盛時が討ち死にした後、武田信玄は旧縁を頼って禰津村に移住した千代女に、朱印状(免許状)を発行。千代女は甲斐と信濃の両国の神女(神子)頭、すなわち歩き巫女の長になった。それをきっかけに、禰津村は巫女村となったという。
本来なら、城主の妻が歩き巫女たちと直接かかわることはない。NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」でも大竹しのぶが演じたが、歩き巫女は特定の神社に所属せず、村落に寄宿し、日本各地を漂泊。祈祷や口寄せ、勧進をなりわいとする、あまり身分の高くない人物のことである。下級の者は私娼として里巫女、旅女郎、白湯文字とも呼ばれていた。
だが、千代女には目的があったとされる。亡き夫が仕えた武田氏のために、一説には千代女は自らくノ一として諸国を巡り、諸国の戦争孤児から美少女をスカウト。自ら開いた修験道場に集めて訓練させた。日本全国を自由に歩き回れる歩き巫女の立場を利用して、諜報活動に従事させようとしたのである。
くノ一といえば、色香で相手を惑わせて情報を収集したとされるが、歴史的にそれを証明する史料は残されていない。
徳川家康の忍びだった初芽局というくノ一が豊臣秀吉の死後、ハニートラップを仕掛けるため、石田三成の妾になった。だが、逆に三成に本気で惚れてしまい、寝返ると、石田家に殉じたと伝わっている。
(道嶋慶)