22年、ちょうどデビュー40周年であったこともあり、活動再開に意欲を見せていた中森明菜。音楽関係者が言う。
「久々に動きが出てきたのは、22年夏。突如としてツイッターのアカウントを開設して、再始動のために新事務所『HZ VILLAGE』設立を報告し、大きな話題となりました。『まだ万全な体調とは言えません』とのことでしたが、大晦日のNHK紅白歌合戦への出場へと、期待は高まっていきました」
しかし、11月18日に発表された出場者に、明菜の名前はなし。芸能ライターによれば、
「12月24日には、8月30日以来のツイッター更新があり『信じて待ってくださり、本当にありがとうございました。公式サイトを更新いたしました。ファンクラブのご案内はもうしばらくお待ちください』と発信しました。ただ、11月下旬には、明菜の『育ての親』とも呼ばれたレーベル事業を手掛ける寺林晁さんが亡くなり、大きな支えを失ったことが、彼女のメンタルに大きな影を落としているかもしれません」
振り返ればそれまでも、一歩進んでは二歩下がる、を繰り返してきた。
「10年10月に、体調不良により、芸能活動の無期限休止を発表。しかし14年の紅白ではニューヨークのレコーディングスタジオから生中継で登場して、ファンを安心させました。15年にはシングル、カバーアルバムをリリースし、16年、17年は2年連続でディナーショーを開催。あの伸びやかな歌声で、また存分に我々を楽しませてくれると思いましたが、18年以降はアルバム発表などはあるものの、また姿を現すことがなくなってしまった。今回のツイッター更新で、停滞感がなんとかなればいいのですが」(前出・音楽関係者)
そもそも、明菜の心身がこんなにも傷ついた原因は、どこにあるのか。
「近藤真彦との破局と自死未遂が決定的だったされますが、とっくに克服していますよ。大きかったのは、家族トラブル。金銭問題も絡んで信用できなくなってしまい、95年に最愛の母親が亡くなって以降、断絶状態にある。19年に妹で元タレントの明穂さんが亡くなった際も葬儀に姿を現さなかったそうですから、根深いものがありそうです」(前出・芸能ライター)
あの日のように、とまでは言わない。今の明菜の歌を聴ければ十分なのだが。
(露口正義)