郷ひろみや樹木希林に囲まれてドラマデビューしたのは78年。ただし、歌手としてはキョンキョンや明菜と同じ82年組なのが、白石まるみ(57)だ。
──歌手デビューはユーミンが作詞、作編曲は夫の松任谷正隆という豪華布陣の曲、「オリオン座のむこう」(82年)でした。
白石 レコーディングしているスタジオに、ユーミンさんが手作りのおにぎりを差し入れてくださったんですよ。この人、都会的ですごくカッコいいなって思って。なのに、あまり売れなくて申し訳なかったです。
──この年は「花の82年組」と呼ばれるほどアイドルの黄金時代でした。
白石 私はハタチになる年だけど、同期と一緒の楽屋だといちばん年上で。10代半ばの堀ちえみちゃん、三田寛子ちゃん、キョンキョンとか「ねえ『セブンティーン』貸してー」って楽屋を走り回るのを見て、取り残された感はありました。
──芸能界そのものは、78年にドラマ「ムー一族」(TBS系)のオーディションで選ばれてデビューしています。レコードを出すまで4年ものブランクがあったのは?
白石 当時のアイドルはレコードを出すのがセットですよね。実際、私と同じドラマに選ばれた桂木文ちゃんは、挿入歌としてレコードを出しましたし。ただ私は高校に入った年で、あの酒井政利さんからレコードのお誘いもあったけど「高校を出なかったらお嫁に行けなくなるので」と断ってしまったんです。今思うと本当におバカでした。
──芸能界の出発点である「ムー一族」の思い出は尽きないですか。
白石 オーディションに樹木希林さんもいらしてて、私に「あなた、おもしろい顔してるわね」っておっしゃったの。それで結果発表の時に希林さんと目が合って、「えっ、私?」と戸惑っていたら、2位として合格させてもらえました。伴淳三郎さんには娘のようにかわいがってもらえましたし、郷ひろみさんとは3つのドラマでご一緒させていただきました。
──もうひとつ、ドラマの代表作が「スチュワーデス物語」(83年、TBS系)ですかね。堀ちえみと同じ研修生の一員で。
白石 正直言って、大映ドラマ特有の芝居のクサさは「大根役者に見えない?」って、みんなで言い合ってたんです。ところが教官役の風間杜夫さんが「これでいいんだよ」と明るくおっしゃって、それに片平なぎささんも「そうよねえ」と吹っ切れた感じでした。今でも研修生メンバーのちえみに春やすこ、高樹澪たちと集まって食事をすることがありますよ。
──さて、近年は娘の守永真彩と母娘でグラビア撮影があったり、まだまだ若さがあふれている。
白石 何かにつけて「芸能界初の!」という言葉が好きなの。母娘グラビアも、誰もやってないなら私が、という感じで。女優業と並行してやっている「個性心理学のカウンセラー」や「動物占い」も、芸能界で誰もやっていないのなら、と始めました。
──精力的で何よりです。