昨年末のNHK「紅白歌合戦」で特別枠として、同い年の桑田佳祐らとともに、スペシャルステージで、60代という年齢を感じさせないパワフルな熱唱を披露した世良公則。近年は野村義男とのユニット「音屋吉右衛門」名義でのアコースティックを中心としたライブ活動や、役者としてのイメージが先行する。
だが、一世を風靡した80年代、「ツイスト」時代の世良は、ロッド・スチュワートばりのド派手なマイクパフォーマンスに、足を大きく広げた空手アクションを交えて熱唱する、まさにワイルドなロックボーカリストだった。
世良のデビューシングルは言わずと知れた「あんたのバラード」だが、彼がこの曲を書いたのは、大阪芸大4年の時。当時、彼が籍を置くバンドは大学卒業と同時に解散することが決まっており、記念として最後に出場したのが、ヤマハが開催する「ポピュラーソングコンテスト」だった。
ところが、運というのはわからないものだ。77年10月、「あんたのバラード」はなんと、ポプコン本選会で見事、グランプリを獲得。さらに11月に行われた第8回世界歌謡祭でもグランプリを獲得したことで、12日後の11月25日に急遽、キャニオン・レコード(現・ポニーキャニオン)から発売されたのが、デビューシングルとなるこの曲だったのである。
実をいうとメンバーにとって「ポプコン」出場は、あくまでも青春の思い出。世界歌謡祭グランプリも、あとでついてきた名誉ある「大きなオマケ」にほかならなかった。
結果、シングルを発売するも、バンドに残ったのは世良とキーボードの神本宗幸だけ。すでに就職が決まっていた他のメンバーは、プロとして活動することを拒否した。
そこで急遽、別のバンドに所属する大学のバンド仲間で12月21日に「世良公則&ツイスト」を結成。翌78年2月に上京するという、バタバタなデビュー劇となったのである。
そんなこともあり、「あんたのバラード」には「ザ・ベストテン」(TBS系)や「夜のヒットスタジオ」(フジテレビ系)といった歌番組で繰り返し演奏された「ツイスト」によるバージョンのほか、オリジナルメンバーによるスタジオ盤シングルと、ファーストアルバム「世良公則&ツイスト」(78年7月発売)に収録された「世界歌謡祭」音源が存在する。それぞれを聴き比べてみるのも面白いだろう。
彼らはこの曲で、50万枚を超える売り上げを記録。オリコン最高順位6位に輝き、続く「宿無し」(3位)、「銃爪 (ひきがね)」(1位)、「性(サガ)」(5位)、「燃えろいい女」(3位)と、立て続けに大ヒットを量産した。
なお、アルバム「世良公則&ツイスト」は、日本のロックバンドのデビューアルバムが初めてチャート1位を記録したとして、今も歴史にその名が刻まれている秀作だ。
ロックを大衆化したという意味において、世良公則&ツイストが残した功績は大きかったのである。
(山川敦司)