11月17日に東京・国立代々木で開催される新日本プロレス50周年記念イベント「シンニチイズム ミュージックフェス」。当日は新日本プロレスの一時代を担ってきた選手たちの入場テーマ曲を、フルバンドが生演奏する。選手の入場シーンや必殺技、名場面などがスクリーンに映し出される、まさにファン待望の、一夜限りの音楽フェスとなる予定だ。
そんなイベントの告知広告に、スタン・ハンセンの入場曲「SUNRISE」を演奏し、当時の音楽番組などでも一世を風靡した伝説のバンド「スペクトラムのギタリスト、西慎嗣が出演!」との記述を目にした。早すぎるがゆえに評価されなかったこのバンドの存在感に、改めて思いをはせたのは、筆者だけではないだろう。
スペクトラムはキャンディーズのバックバンドだった「MMP」のメンバーが中心となり、79年に結成。「和製EW&F」と呼ばれ、さらには西洋古代の戦士や北欧バイキング風の衣装から、色物扱いされることもあったが、実はブラスロックにジャズとフュージョンをクロスオーバーさせるという、当時は文字通り、類まれなるバンドだった。
そんなスペクトラムの人気に火をつけることになったのが、テクニクスのCM出演と、シングル「イン・ザ・スペース」(80年)の大ヒット。「イン・ザ・スペース」が収録されたアルバムが、彼らにとって2枚目となる「OPTICAL SUNRISE」だった。
全7曲中2曲がインスト。ブラスに心地よいコーラスを加味し、独特のドライブ感を生み出していた。
しかし、悲しいかな、世に出るのが10年以上、早すぎた。「イン・ザ・スペース」は「EW&Fもどき」「下手なモノマネ」と揶揄され、3作目の「TIME BREAK」完成後には、当時大人気だったYMOや、同じ事務所のサザンオールスターズを引き合いに出されることに。
リーダーの新田一郎とメンバー間で意見の相違もあり、81年7月、新宿厚生年金会館でのコンサート後、活動停止を発表。同年9月22日の日本武道館でのライブを最後に、わずか2年という短い活動に終止符を打つことになったのである。
超絶的なギターテクニックから繰り出されるインタープレイ。それを支えるベース、ドラムのリズム隊。そして旋律を奏でるハイノートのトランペットにユニゾンで迫るキャットコーラスは、まさに秀逸。スペクトラムの「OPTICAL SUNRISE」は40年以上の時を経てもなお、輝き続ける名作といえるだろう。
(山川敦司)