B級グルメで知られる静岡県富士宮市の出身で、大きな瞳にほんわかとした容姿。囁くように甘く優しい歌声で、菊池桃子の「直立不動歌唱スタイル」を継承していたのが「モモコ直系」と言われた佐野量子だった。
本田美奈子をはじめ、井森美幸や志村香、網浜直子などがデビューした、アイドル激戦時代の85年4月、「ファースト・レター」でRVCからシングルデビュー。だが、オリコンチャート100位入りにほんの少し届かず、続く2枚目の「蒼いピアニシモ」(同7月発売)でも、おニャン子の分厚い牙城を崩すことはできなかった。
そこで秋元康氏が手掛けた3枚目のシングル「雨のカテドラル」(同12月発売)では、歌詞のほとんどをセリフに、しかも自死した恋人に語りかけるという、当時のアイドルソングとしては極めて異質な楽曲にチャレンジ。アイドルのシングルA面曲としては異例の「セリフ率の高さ」から、一般受けはしなかったものの、このフォークソング調の楽曲をしっとり歌い上げるやわらかな雰囲気とシュールな詞とが溶け合い、えも言えない雰囲気を醸し出していたことは間違いない。
佐野は歌以外にも、魅力を発信していく。86年に、衝撃的な水着写真集を出版したのだ。「可愛い」としか表現しようのないカットが満載で、しかも時折見せるアンニュイな表情には、大人の女性の妖しい雰囲気もまとっていた。かつてはアイドルが水泳大会番組や写真集で水着姿を見せつけるのは、一種の王道だったのだが。
さて、先ほど挙げた「フォーク的アプローチ」における代表曲が、デビュー5年目の89年8月に発売された14枚目のシングル「あくび」だった。作詞・秋元康、作曲・見岳章。言わずと知れた「川の流れのように」の最強コンビである。そこにアレンジのエキスパート、石川鷹彦氏を起用した。
佐野はこの曲のオープニングで、パジャマ姿でリコーダーを演奏し、ファンの度肝を抜いた。かつて小泉今日子がオカリナを演奏した「スマイル・アゲイン」以上の衝撃を与えることになるのだ。
だが、そんな奇抜な戦略も、ビッグセールスには結びつかず。その後、新たに移籍した関根勤や小堺一機所属の「浅井企画」カラーも手伝い、天然の個性が開花。バラエティー番組への出演が多くなっていく。
芸能界からの引退を宣言したのは、94年12月だった。翌95年に天才騎手・武豊と結婚し、事実上の芸能界引退へ。
それから20年の月日が流れた15年10月。佐野が突然、「豊さんと憲武ちゃん! 旅する相棒~1泊2日京都編~」(テレビ朝日系)で、元気な姿を見せたのだ。大きな瞳にほんわかとした容姿は健在。これはぜひ歌番組での一夜復活を…とファンが盛り上がったのである。
(大石怜太)