70年代後半に放送され、大ヒットしたドラマ「コメットさん」(TBS系)で2代目を務め、清純派アイドルとしてブロマイドの売り上げが、山口百恵やピンクレディーを抜いてトップになる、という快挙を成し遂げたのが、大場久美子だ。
だが、84年には突如「一糸まとわぬ姿の写真集」を発売してファンを驚かせた。92年には所属する事務所の倒産をきっかけに個人事務所を設立したが、Vシネマの劇中におけるシーンをめぐって発売中止裁判を起こすなど、スキャンダルでも芸能マスコミの話題になることが少なくなかった。
そんな大場がレストラン経営に失敗し、1億円あまりの借金を抱えて、自己破産の手続きをとり、破産宣告を受けたのは94年4月12日のことだ。
大場は87年8月、サイドビジネスとして京都市内にレストラン「ホワイトバス」を開店。メディアでの宣伝も手伝って当初はなかなかの人気ぶりだった。2年後の90年には静岡に「2号店」も開店したのだが、大葉は経営にはノータッチで、店が厳しいと知ったときには借金が膨らみ、にっちもさっちもいかない状態だったという。
4月19日に都内で記者会見に応じた大場は、開口一番、
「今回に至るにあたり、私は1年にわたり両親から1千数百万円の借り入れをしたりして、返済の努力を重ねてきましたが、このままでは両親も破産しかねない状況に至り、破産することを決めました」として、自身が所有する財産、別荘などすべてを処分し、「債権者に出来るだけの誠意をお見せしたい」と神妙な面持ちで語ったのだった。
本人の説明によれば、オーナーから、「『名前を使っていいですか』と言われ、OKした。でも突然、オーナーが姿を消し連絡が取れなくなった」という。しかし、いくら経営にノータッチだったとはいえ、「大場久美子の店」と謳っていただけに、彼女には店側からそれなりの報酬が支払われていたはず。そんなこともあるのだろうか、大場は、「いっさいの責任を私に押し付けて逃げてしまった」と批難しつつ、「でも恨んではいません。騙された私が悪かったんです」と説明するなど、首を傾げたくなるような場面も多かった。
結果、6月13日には東京地裁で債権者集会が開かれ、資産公開の後、彼女は借金返済の呪縛から逃れることになった。バルブで沸く80年代、多くのスポーツ紙が「大場久美子 27歳で子供のころから憧れだったレストランオーナーに!」と報じたが、彼女の夢はバブル崩壊とともにはかなくも消え去ったのだった。
(山川敦司)
1962年生まれ。テレビ制作会社を経て「女性自身」記者に。その後「週刊女性」「女性セブン」記者を経てフリーランスに。芸能、事件、皇室等、これまで8000以上の記者会見を取材した。「東方神起の涙」「ユノの流儀」(共にイースト・プレス)「幸せのきずな」(リーブル出版)ほか、著書多数。