豊かすぎるバストのアイドルとして男性誌のグラビアを賑わせ、ドラマやCMでも活躍していた細川ふみえ。そんな彼女が不動産会社経営者との「重婚騒動」を機に、芸能マスコミの前から忽然と姿を消した。2007年のことだった。
細川は婚約中だったアメリカ人大道芸人と別離後、不動産会社経営者のA氏とサイパンで挙式。だが当時、A氏と妻との間で離婚が成立していなかったことで、重婚疑惑が浮上。さらに08年に起こった「リーマンショック」により、A氏の不動産事業が立ち行かなくなる。
そして結婚から2年後の09年3月、A氏の会社が事業停止に追い込まれ、事実上倒産。結果、総額20億円の借金を抱えたことで、09年に2人は離婚することとなったのである。その後、シングルマザーとなった細川が、芸能界の表舞台に出てくることはなかった。
それから7年。実に久々となる公の場は、映画の特別試写会(「マルティニークからの祈り」)だった。イベントの後、単独で記者会見に臨むとの連絡が入る。14年8月20日のことである。
騒動以来の登場とあり、詰めかけた報道陣は50人以上。そしてイベント前に報道陣に配布されたのが「マスコミの皆様へ」と題した文書だった。
そこには突然姿を消したことについて「詳細もお伝えせず、雲隠れするように芸能活動の休止に至り、誠に申し訳ないことをいたしました」といった言葉が記されていた。
イベント終了後の囲み取材で重い口を開いた細川は、
「子供がお腹にいたので、なるべくハラハラドキドキしないように。妊婦はそういう経験をしない方がいいと言われたので…。それでタイミングを逃したまま、今日に至ってしまいました」
まずはそう言って謝罪すると、
「勇気がなくて、どんな顔をして皆さんにお目にかかったらいいのか…。今回、協力者を得ることができまして、ライブ(子供に絵本の読み聞かせをするイベント)から再デビューするに至りました」
彼女の口調はたどたどしく、痛々しいほどだ。彼女の背中を押してくれたのは息子だったといい、
「ライブ本番の時もずっと、いちばん前で見てくれて。本番前の1週間は緊張しすぎて、私も様子がおかしくて。本番が終わった後、息子がホワイトボードに手紙を書いてくれまして、『ママ、絶対頑張って』って…。それが宝物です」
とはいえ、生き馬の目を抜く芸能界だ。グラビアならともかく、絵本の読み聞かせでの復帰に需要はあるのか。大手芸能プロの宣伝部長は当時、筆者の取材にこう答えている。
「苦労話を笑いに変えるのは、トーク術があればこそ。彼女の場合、真面目さが表に出すぎて、どうしても話が重くなる。復帰当初はいろいろ声もかかるでしょうが、その後をどう繋げていくかが課題ですね」。
できればもう一度、完熟写真集を期待しているのだが…。
(山川敦司)
1962年生まれ。テレビ制作会社を経て「女性自身」記者に。その後「週刊女性」「女性セブン」記者を経てフリーランスに。芸能、事件、皇室等、これまで8000以上の記者会見を取材した。「東方神起の涙」「ユノの流儀」(共にイースト・プレス)「幸せのきずな」(リーブル出版)ほか、著書多数。