笹井氏と山中氏は、ともに62年生まれ。スター研究者として最初に注目されたのは笹井氏だった。科学部記者が解説する。
「笹井氏は弱冠36歳で京大医学部の教授になったエリート中のエリート。神戸大学医学部に入学しながら、医師として大成しなかった山中さんは、落ちこぼれでした。京大教授になったのも笹井氏が6年も早かった」
研究者としてトップの地位を独走してきた笹井氏だが、山中氏に逆転されることになる。
「笹井氏の専門『ES細胞』には、女性の卵子が必要です。08年くらいに、これが倫理的に問題とされ、研究の人体への転用が難しくなりました。一方、山中氏はiPS細胞の開発に成功。こちらは倫理面もクリアできていた。2人の立場は完全に逆転したのです」
山中氏のノーベル賞受賞で、その差は決定的なものになる。2人がある研究会に出た時、山中氏が、日本の再生医療研究について、
「今は山中研究室が1人で走っている」
と発言したことがあった。それを聞いた笹井氏は、悔しそうにこうつぶやいたという。
「山中さんは1人で研究していると思っているのか」
09年、民主党が政権を取り、事業仕分けが行われた。厳しい風当たりを受けた笹井氏は、こんな野望を持つようになったというのだ。
「世間に研究成果を訴える方法を考えないと」
そこで、笹井氏は女性研究者を物色し始めたのだ。京大関係者が語る。
「見栄えのいい女性研究者を見つけては売り出そうと必死になっていました。京大で見つけた、ある美人の女性研究者にしつこく言い寄り、『研究を手伝うから』と言って売り出そうとしたのです。女性は、嫌気がさして京大を飛び出し、今では研究者も辞めています」
美人研究者が研究発表した時の世間の注目度は、小保方氏のケースで明らかと言えよう。そのことで大きなメリットが生まれるというのだ。
「研究に関連する株が上がるのです。そのこともあって、企業は研究費を寄付しやすくなります。つまり、予算を生み出すことができる。笹井さんは、研究者としてよりも資金集めのほうに走っていきました」(京大関係者)
理研採用時、英語面接を省略するなど小保方氏には「特別待遇」が与えられた。もちろん、笹井氏の強い提案によるものだった。