テリー 今回ね、この本を出されたことは、また加藤さんのひとつの転機になるのかなと思うんですけど、これからの人生はどうお考えなんですか。
加藤 私は流れ者なんで。あらゆる人生の岐路は外から来てるんですよ。刑務所の人と結婚したのも、そういう運命を私が選んだわけじゃない、向こうから来たんだからねって(笑)。だから「何があっても、それをちゃんと迎えて、生きる覚悟はできてます」っていうことかしらね。
テリー 今は旦那さんのことを冗談交じりに話されるじゃないですか。でも当時、刑務所の中にいる人と結婚することが、歌手生活のプラスになるとは思えなかったと思うんです。それにもかかわらず、それを決断したのは何だったんですか。
加藤 私も「もう歌手はできないかも」っていうのは覚悟したのね。でも、別のことはできるんじゃないかなっていうのも、その時はありましたよね。だけど想像以上に、世の中に受け入れられたわけ。その時のマスコミの人たちもみんな「お前、頑張れよ」っていう感じだったから。
テリー 藤本さんの言ってることは、非常にシンパシーありましたよね、僕らも含めてね。
加藤 何であの時代に「刑務所に入ることになっても行動するんだ」という決断を彼らが出来たのかは、今の時代にはちょっとわかりにくいと思うんですね。だけど私がふと思ったのは、あのころ若い国だったんだね。
テリー ああ、日本がね。
加藤 まだ国が未熟だったのよ。だって、戦争が終わって15年とか20年じゃないですか。その国がそろそろ変わろうとしたのが1960年代で、その時にアメリカと日本が軍事同盟を結ぶという決断をした。それに対して反対したわけよね。
テリー アメリカはベトナム戦争をしていて、戦争反対のムードも強かったですからね。
加藤 やっぱり「日本がどっちへ行くのか、今選択しなきゃどうするんだ。選ぶ権利は自分たちにある」っていう意識が、あのころの若者にはあったと思う。
テリー 今の日本はどうですか。
加藤 だから、今はその時に選んだ結果の50年後ですよね。私たちが残しちゃったこの結果を見て、今からもう一度やり直すのは大変よ。猛烈に根っこが張ったものを引き抜かなきゃいけないんだから。とても今の若い人には重すぎる、と思う。
テリー 日本はこの50年で良くなってるんですか。
加藤 だから、50年前に中国と国交回復して、沖縄も日本に復帰してね、その時は、いいほうに向かってると思ってたじゃないですか。でも、中国との関係で忘れてはいけないのは、日本が中国を侵略したということ。私は満州で生まれてるから特にそう思うんだけど、侵略したことがある国としての礼節は失くしてはいけないと思うんですよ。
テリー ああ。
加藤 だって、全部忘れてるんだもん。私なんか満州で生まれて、中国の人たちの協力で引き揚げることができて。そういう人がまだ生きてる時代なのに、そういう歴史はきれいに忘れて、今は中国やロシアが仮想敵国みたいになってますからね。
テリー そうですね。
加藤 でも今も「もうあんな戦争はしないで上手くやろうよ」っていう道のりを、みんなで一生懸命探してる途上だと私は思ってるんですね。それを全てぶち壊しにするような状況にさせてはいけない、と思っています。
◆テリーからひと言
この本、お母さんが主人公の朝ドラになるよね。「たけしくん、ハイ!」とかコシノ3姉妹のお母さんの「カーネーション」みたいに。いや、すごい本でした。