シーナ&ロケッツ(以下、シナロケ)のギタリストでボーカルの鮎川誠さん(享年74)が1月29日、膵臓ガンのため死去した。公式サイトによれば、鮎川さんは昨年5月に膵臓ガンが判明。医師から「余命5カ月程」との宣告を受けていたが、いっさい病気を公表せずに全国ツアーを続行。その理由が、シーナさんに対する思いだったという。
サンハウスのギタリストだった鮎川さんが、妻のシーナさん(故人)らと共に福岡から上京後、シナロケを結成。1stシングル「涙のハイウェイ」(エルボンレコード)でデビューしたのは79年3月だった。
サンハウス時代には故・高橋幸宏さんが在籍するサディスティック・ミカ・バンドとコンサートで一緒になったこともあり、東京でのライブ開催時、客席には高橋さんの姿が。するとライブ終了後に「君たちの音楽はおもしろいね。細野(晴臣)さんにも紹介したいから、一度遊びに来ない?」と誘われた。YMOがクリスマスに開催する、業界向けお披露目ライブに参加することになったという。
だが、縁というのはわからないものだ。今度は細野から「僕らと一緒にレコードを作らないか」との打診があり、シナロケはアルファレコードに移籍。そして細野、高橋、坂本とコラボしたアルバムが、のちにJALのCMソングに起用され、爆発的なヒットとなる「ユー・メイ・ドリーム」を含む「真空パック」(79年10月)だったのである。
とはいえシナロケの本領は、あくまでもジェームズ・ブラウンやキンクスに通じる、単純な歌詞と粗削りな演奏のロックンロール。そのため、ニューウェーブ調のサウンドに違和感を覚えたサンハウス・ファンもいたようだが、鮎川さんが放つ鋼のビート魂はむろん、健在。それを支える鉄壁のリズム隊。炸裂するシーナのナスティでキュートな歌声は、今聴き返しても傑作というほか、言葉が見つからない。
生前、鮎川さんはインタビューでこう語っている。
「オレがギターを弾くのはファンのため、なんてかっこつけて言うたこともあるけど、全然違った。オレはシーナに向けて弾いていた。シーナに褒められることがうれしかった。オレよりも5つも年下なんだけど、母親みたいな存在やった」(朝日新聞デジタル・20年03月18日)
最後のライブは昨年12月19日、京都のライブハウス「磔磔」で。そして鮎川さんは3人の娘たちに見守られ、眠るように息を引き取ったという。友人の武田鉄矢はこうコメントしている。
「本当に愛妻家だったので、今まっすぐ向かっていると思います。マコちゃん、シーナとまた会えて良かったね」(デイリースポーツ・1月30日)。
冥福を祈りたい。
(山川敦司)