今年で活動開始40周年を迎えるプリンセス・プリンセス(以下、プリプリ)が2月26日と3月21日、全国21の映画館で「メンバーの出会いから40周年記念プロジェクト -DIAMONDS STORY-」と題するライブフィルムを上映する。既に上映され、第1弾となった1月29日は、96年の解散ツアー最終公演を収めた「The Last Live」を最新デジタル化して公開。ファンが熱狂した。
プリプリは86年にデビューした、日本におけるガールズバンドのパイオニア的存在だ。89年には女性のみのバンドとして、史上初の武道館ライブを成功させた。ツアー総動員数190万人は、いまだガールズバンドでは破られていない記録だ。
メンバー5人が「TDKレディスバンドオーディション」に応募し、最終オーディションで選出されたのは83年2月。4月には東京・西日暮里の合宿所で共同生活を始め、アイドルバンド「赤坂小町」として「放課後授業」でデビューした。しかし、音楽をやりたくて集まったメンバーと、アイドルとして売ろうとする事務所サイドとが対立。結果、彼女らは事務所を移籍して「JULIAN MAMA」と改名後、CBSソニーに見出されて87年、シングル「恋はバランス」でデビューすることになる。バンド名は「プリンセス・プリンセス」になっていた。
しかし、作曲は外部発注。そこで「全曲、自分達で作りたい」と直談判する。87年7月、2ndシングル「世界でいちばん熱い夏」をリリースするが、全く売れない。
それでも自分たちの楽曲で勝負したいとの思いは強く、ライブを続ける中、徐々に観客数も増えていった。会場もライブハウスからホールへと移行し、89年にはついにガールズバンドとして初となる、単独での武道館公演を成功させるに至ったのである。
そんな彼女たちの通算7枚目のシングルが、オリコンチャート1位を獲得し、ミリオンヒットを記録した「Diamonds」(89年4月発売)だが、そのカップリングとしてリリースされたのが、ドラムスの富田京子が作詞したドラマティックな曲「M」だった。
この曲は当時、付き合っていた男にフラれた富田が、奥居香の家を訪ねたことで生まれた。2人で酒を飲むうち、奥居が「悔しい思いを詞に書きなよ。私がいい曲をつけてあげるから、ヒットさせて彼に仕返ししよう」として出来上がったのである。
別れた恋人のイニシャルをタイトルにし、「普通の女の子」の日常に起こることを等身大で描いたこの曲は、同世代の女性のハートを鷲づかみ。「M」はプリプリのコンサートでは定番となり、陽の「Diamonds」に対して、「陰」でありながらも美しく切ないバラードとして、ファンに長く愛され続ける1曲となったのである。
(山川敦司)