長渕剛の妻で、現在フラワーアーティストとして活躍中の元女優・志穂美悦子。そんな彼女が2月8日、自身のインスタグラムに「世界ラン展2023」に展示した「緋の舞」と名付けた紫紺の胡蝶蘭をあしらった作品を披露し、フォロワーから絶賛の声が寄せられた。
千葉真一率いるJAC初の女優として「女ブルース・リー」と呼ばれた志穂美が、1歳年下の長渕と結婚、31歳で芸能界からスッパリと引退したのは、87年8月のことだ。
2人はTBSドラマ「親子ゲーム」で知り合い意気投合。その後、映画「男はつらいよ・幸福の青い鳥」でも共演し、製作発表会見では長渕が「盛り上がれば結婚ということになるだろう」と、交際宣言。志穂美も「隠れてコソコソするようなものではありませんし、いつも堂々とつき合っていたいと思っています」と答え、結婚は秒読みと目されていた。
そして2人は同年8月29日に入籍。入籍前日の会見で志穂美は、「クセのある男なので専業主婦したい」と芸能界引退の意向を示し、言葉通り、芸能界からフェードアウトしていくことになった。
ところが、そんな彼女が再び芸能マスコミの前に引っ張り出されることになったのが93年7月。長渕と国生さゆりとの「朝まで密会」が「FOCUS」に報じられたことがきっかけだった。
報道を受け、東京・品川区の自宅前で張り込むこと数日。軽井沢から帰宅した2人が、自宅前に集まった報道陣を前に囲み会見を行ったのは、同29日のことだった。
口火を切った長渕は、2人だけで会ったことを認めた上で、
「オレたちのようにモノを作る人間にはね、あなた方の言う常識だとかモラルなんてのは、通用しねえんだよ。オレたちの夫婦関係はうまくいってるんだし、なんら支障ないんだから」
すると、隣にいた志穂美もにこやかに、
「私はやっぱり(彼の)情熱が好きで結婚したんですから、なんていうのか、自由奔放にさせてあげることで、いい仕事が出来ると思っているし、ですから、全然平気!」と答え、続けて、「私も、けっこうゾクゾクしたりするから、いいんじゃないの」とフォローしたのだった。
そして、でも2度あることは3度ある!?との質問には、こう話した。
「またあるね。それは女性問題であるかもしれないし、また別の何かかもしれないけど。でも、私はそんなこの人が好きだから」
なるほど、さすがは「女ブルース・リー」。ともあれ、悪びれない夫と、それを余裕の表情で受け止める妻の姿に、質問する我々のほうが拍子抜けしてしまったものである。
さて、この志穂美発言を「賢妻」のそれととるか、あるいは「諦め」ととるかは、むろん意見が分かれるところだろう。当時、2人には5歳の長女と4歳の長男がいたが、志穂美を見て「母は強し」という言葉が印象付けられる会見となったのである。
(山川敦司)
1962年生まれ。テレビ制作会社を経て「女性自身」記者に。その後「週刊女性」「女性セブン」記者を経てフリーランスに。芸能、事件、皇室等、これまで8000以上の記者会見を取材した。「東方神起の涙」「ユノの流儀」(共にイースト・プレス)「幸せのきずな」(リーブル出版)ほか、著書多数。