この4月に始まったあの朝ドラ「あまちゃん」再放送(NHK BSプレミアム)をまた見てしまった人は多いことと思う。
架空の北三陸市からドラマは広がっていくが、そこに「北限の海女」や「琥珀」、そして潜水科のある高校、北リアス線の鉄道、地下アイドルなどを散りばめていく手法は、脚本を担当した宮藤官九郎独特の世界観の成せる技だった。
驚いた時や感嘆した際に「じぇじぇじぇ」と言ったのはクドカンの造語であり、設定していた架空の北三陸市は、現実では久慈市になるが、住民が「じゃ、じゃ」というのを「じぇじぇじぇ」と変えたのだろう。しかしリズム感があって、それはそれでよかったのではないだろうか。
北限の海女は観光用に、小袖漁港横の海女小屋で夏の期間だけやっていたが、それを中心にドラマを組み立てる発想は浜に住む者にはない、と話すのは、久慈市で漁業に従事している50代男性である。
「この辺りではウニの解禁は初夏から夏までで、潜り漁は種市(現・洋野町)の一部でしか認められておらず、他は全面禁止です。アワビと比べて、ウニは見つけるのが簡単ですから、まるで拾うように採れる。だからウニ漁をドラマで使うという発想は、浜の者からは絶対に出ません。3メートルも4メートルもある竿を使ってウニを採っているんですが、11月に解禁されると、漁師の狙いはウニより値段が高いアワビしかない。午前中の漁だけで100万円も稼ぐ漁師もいますから。アワビは三陸の主役で、ウニは脇役といった感じですかね」
つまりクドカンは浜のことを知らなかったことで、変な固定観念がなかったのが幸いしたのではないかと、この漁師は指摘しているのだ。
クドカンは宮城県の県北にある栗原市(旧若柳町)で生まれ育った。見渡す限りの日本有数の穀倉地帯であり、海とは何の接点もない。地元の名門、築館高校を卒業しているが、当時から深夜放送のヘビーリスナーで、投稿が採用されることも少なくなかった。日本大学芸術学部の放送学科に進学するも、中退して、その後は劇団に所属。音楽グループや映画、小説、脚本などのマルチな活躍を続けた。
その執筆場所は、住まいのあった武蔵野市吉祥寺の喫茶店であり、それは地元の住民たちにも知られていることだ。自営業の30代男性は、次のように言う。
「吉祥寺で遊んでいる者で、宮藤さんを見たことがない人はいないんじゃないですか。オレは週に1、2回は宮藤さんがパソコンに向かって執筆をしているのを目撃していました。多分、宮藤さんは毎日、喫茶店巡りをして作品を作っていたんでしょう。どこの喫茶店という決まったところはなくて、チェーン店でもパソコンに向かっています。発想が湧かないと場所を変えて、次の喫茶店へ行くパターンが多かったようです。『あまちゃん』の放送が始まってからも喫茶店を巡っていましたから、あの大ヒットドラマのストーリーは、吉祥寺の喫茶店で次々と生まれていたんでしょう」
ユーミンがファミレスで、そこにいる客をヒントに作詞をしていたことは有名だが、クドカンは吉祥寺の喫茶店で名作を生んでいたのである。
(深山渓)