その場の状況は、シュナイダー氏によれば、漂う“紫の煙”を躊躇なく深く吸い込んだ村上氏は酩酊状態になってしまったという。
「それほどビールは飲んでいなかったので大麻が効いて、どっぷりと自分の世界に入っていたのかもしれません。暗い室内の中で彼だけはなぜかサングラスを外さなかった。もしかしたら、取材班や私に“うつろな目”をしているのを見られたくなかったのかもしれません」(シュナイダー氏)
パーティが終わったあと“酔い”が冷めて我に返ったのか、余韻を味わっていたのかわからないが、帰りの車中では村上氏を含めた全員が無口だったという。
若かりし村上春樹氏の“秘蔵写真”をシュナイダー氏はなぜ今、公表しようと思ったのだろうか。
「別に彼をおとしめようとか、批判しようとかという気持ちはない。彼の作品にはマリファナを吸う描写も出てくるし、本人もマリファナ好きを公言しているのはファンなら知っている。その彼が若い時にこのようにマリファナを楽しんだということを彼の“ファン”も知りたいと思ったからだ」
確かにファンの中では、村上氏がマリファナ好きだということは周知の事実となっている。99年に発表されたエッセイ集「うずまき猫のみつけかた」(新潮社)の中にはアメリカでの生活について、こう言及している。
〈どこからともなく懐かしいマリファナの匂いが漂ってくる。学生に「ねえ、なんかマリファナの匂いがするね」と言ったら、「へえ、先生(と、とりあえずは呼ばれている)の頃もマリファナってあったんですか」と聞かれた。冗談言っちゃいけない。そんなもの遥か大昔からあったのだ。マリファナ、ハッシシなんてその昔は飽きるほど吸ったぜ……というのは誇張ですけど、もちろん〉
その“経験”は作品にも存分に生かされている。10年に発表された「1Q84」の中で、主人公・天吾は父の入院先である病院の看護師たちとパーティをやったあと、その中でいちばん若い女性である安達クミにマリファナを勧められる。そこには、実際に経験をした者でしか書けないようなリアルな描写がある。
〈秘密のスイッチをオンにするようなかちんという音が耳元で聞こえ、それから天吾の頭の中でなにかがとろりと揺れた。まるで粥を入れたお椀を斜めに傾けたときのような感じだ。脳みそが揺れているんだ、と天吾は思った。それは天吾にとって初めての体験だった~脳みそをひとつの物質として感じること。その粘度を体感すること。フクロウの深い声が耳から入って、その粥の中に混じり、隙間なく溶け込んでいった〉
脳みそを一つの物質として感じること──これはまさしくハンブルクの夜、シュナイダー氏が見た村上氏の状態ではなかったか。
それにしても不思議なのは、なぜ村上氏がここまで「マリファナ」に引かれるのかということだろう。
書評家の永江朗氏によれば、彼がドラッグや大麻に影響を受けた「団塊」と呼ばれる世代であることが無関係ではないという。
「いわゆる全共闘世代の人たちが若かった時にはヒッピー文化の全盛期でした。ヒッピー・ムーブメントには多くの要素があるのですが、その一つはドラッグによる精神の解放でした」
当時の若者たちは「文化」として、それらを愛用していたのだ。