有名情報誌の取材で訪れたハンブルク郊外で、ドイツ人クラブオーナー夫妻によるプライベートな宴が開かれた。その席でマリファナを手渡された後のノーベル賞候補作家は、躊躇なく吸い込むと自分の世界に深く入っていった──。
現在、ノーベル文学賞に最も近い日本人作家・村上春樹氏。めったにメディアに登場しない孤高の小説家の素顔は謎に包まれている。ドイツ人カメラマンが撮影していた紫の煙に酔いしれる姿。それはまさしく「1Q84」年の出来事だった。村上作品のルーツの一つが今、解き明かされる!
薄暗い室内でテーブルを囲む男女。かなり酔いが回っているのか、ある者は目が充血し、ある者はおどけて変顔を披露、中には腕を組んだままグッタリとしている者もいる。
皆、かなり“楽しんでいる”ことがうかがえるが、彼らはアルコールで酔っているのではない。甘い香りが漂う“紫の煙”に酩酊しているのだ。
撮影をしたドイツ人フォトジャーナリストのペーター・シュナイダー氏が振り返る。
「写真は1984年に撮影されたもので、ドイツ・ハンブルクでクラブ経営をするドイツ人夫妻の自宅で行われた“大麻パーティ”を収めたものです。フィルム整理をしていたところ二十数年ぶりに見つけたのです。驚きましたよ。今をときめく“世界的大作家”が写っていたのですから。恥ずかしい話ですが、このフィルムを見直すまで、あの口数の少ない日本人とノーベル文学賞候補にまでなった“ハルキ”が同一人物だったとは気づきませんでした」
マリファナパーティの中に写り込んでいた“口数の少ない日本人”の名は「村上春樹」。言わずもがな日本を代表する大ベストセラー作家だ。「1Q84」(新潮社)はシリーズで386万部を売り、昨年発表された「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」(文藝春秋)も瞬く間に100万部を突破した。その人気は国内にとどまらず、世界40カ国以上で翻訳され、多くのファンから支持されている。また、フランツ・カフカ賞、エルサレム賞という世界的権威のある文学賞を次々と受賞し、ノーベル文学賞に最も近い日本人として知られている。
そんな“世界的大作家”が、なぜドイツでマリファナパーティに参加することになったのか。そして、その一部始終をなぜシュナイダー氏がカメラに収めることになったのか──。
時計の針を30年前に戻し、一つずつ順を追って説明していこう。
84年春、まだ駆け出しカメラマンだったシュナイダー氏は取材コーディネートなども行う日々を送っていた。そんなある日、日本から男性情報誌「BRUTUS」(マガジンハウス)の取材班が1カ月ほどドイツ取材に訪れるので、ベルリンとハンブルクに同行してほしいという依頼が来る。といっても、メインのカメラマンは日本から来るということなので正確には“写真も撮れる運転手兼ガイド”である。
後日やって来た取材班の中に参加していた「小説家」こそ当時35歳の村上春樹氏である。3作目の長編小説になる「羊をめぐる冒険」で野間文芸新人賞をとった村上氏は、すでにこの当時、「新進気鋭の作家」として注目を集める存在だった。事実、このドイツ取材をまとめた「BRUTUS」84年4月15日号の表紙には「特別参加 村上春樹」の文字がある。
「編集者から紹介された時、彼はうつむきかげんで、あまり目線を合わせずに握手したように思います。英語もあまり流暢ではなかったし、何かもそもそと話していた印象です。あくまで私感ですが、人見知りする暗いタイプのように見えました」(シュナイダー氏)
今の世界的大作家と結び付きにくいかなり影の薄い存在だったとはいえ、雇い主たちがこの人見知りする若き小説家にかなり気を遣っているのは、はたから見ても明らかだった。