中森明菜の復活が芸能ニュースになっている。昨年はデビュー40周年ということで、復活が取り沙汰されたが、結局は姿を見せることはなかった。表舞台から姿を消して長く経つため、今度こそと芸能マスコミは期待を込めているのだが、はたしてどうなるか。
65年7月13日生まれの明菜は、今年の誕生日で58歳になる。孫がいても不思議のない年齢なのに、いまだファンが表舞台に出てくるのを熱望するアイドルは、他にいないだろう。
近藤真彦への一途な愛は実を結ばなかったが、その後も誰とも結婚しない人生を送ってきた。
ここで思い出す大騒動がある。1990年5月のことだった。明菜の長兄が結婚式を挙げるという情報を得たマスコミ数社が、結婚式が行われる予定の東京・晴海のホテルをマークしていた。明菜の姿を撮ろうと、ホテルの地下駐車場で待つ社のほか、どこかで合流すると踏んで、明菜の両親が乗ったワゴン車を追いかけ回す社もあった。結局、明菜は両親の車に合流することはなかったが、両親らは追いかけられていたことに苛立っていたらしい。
昼過ぎ、両親らが乗ったワゴン車が地下駐車場に下りてきた。その後をマスコミの車が追いかける。するとワゴン車の後部スライドドアが開き、飛び出してきたのは明菜の母親だった。長いスカートを履いていた母親の目は吊り上がり、殺気を帯びていた。
「てめえ、この野郎、ぶっ殺すぞ」
そう叫びながら、駐車場に置いてあった三角コーンをテレビのカメラマンに投げたり、プラスチックのポールを振り回し出した。
「てめえら、いい加減にしろよ」
ブレザーを着てサングラスをかけ、胸板が厚く体格のいい男は父親だった。彼もスコップを振り回す興奮状態で、テレビカメラマンたちは逃げ回りながら、それを撮影していた。
「止めて下さい。落ち着いて下さい」
テレビ局のスタッフがいさめようと声を掛けても、両親の感情はさらに刺激され、怒りが収まることはなかなかなかった。結局、式場に行かなければならない時間になって、ようやく騒動は収束する。
騒動後にテレビ各社が集まり、スタッフ同士が話し合った。
「なんであんな事態になったんだ。どこかの社が両親に声をかけて刺激したんじゃないのか」
詳しい原因はわからなかったが、結婚式の日にしつこく追いかけ回したことへの不満が爆発したのではないか。それもそうかもしれない。両親のあまりの剣幕に、
「この映像を放送するには(局の立場が)危なすぎる」
ということで、放送は全社、見送ることに。掲載したのはスチールカメラの写真誌だけだった。