ニューヨークのブロードウェイで1988年から35年間も最長のロングランを記録していた「オペラ座の怪人」が先ごろ、幕を下ろした。1万3981回の公演で、2000万人以上もの観客が詰めかけていた。
このニュースに接して、私は80年代前半の出来事を思い出した。東欧ハンガリーの首都ブダペシュトで暮らしていた私は、暇があると眺めがいい街の中心部にある世界遺産の観光地「漁夫の砦」に出かけることが多かった。その昔、ここから下に見えるドナウ川の魚を見張っていたという逸話から名付けられたらしい。当時は共産圏だったので、今ほど観光客の姿は多くなかったものの、ハンガリーは東欧で最も自由があるとして、人気があった。
ブダペシュトは山側のブダと平地のペシュトの2つの街が合併してブダペシュトと呼ばれるようになったが、その間をドナウ川がゆったりと流れ、ペシュト側にはゴシック建築で世界的に有名な国会議事堂が存在感を見せつけている。
お昼過ぎに砦の石段を上がっていくと、眺めの良い場所に腰掛けられる石のベンチがあり、そこにスーツを着たノーネクタイの若い男が一人で腰掛けていた。神経質そうな顔立ちで、憂いを帯びた雰囲気がある。
「こんにちは」
会釈をすると、こんにちはと返してくれた。
「何人ですか?」
と聞いてきたので、
「日本人ですよ」
「へぇ、日本人がいるんだ」
少し驚いたようだった。彼はイギリス人で、ここで待ち合わせをしていると言う。
「ここは住みやすいの?」
「警察が強い東ドイツやルーマニアと比較すれば、共産国の中ではいちばん住みやすいと思いますよ。食事もイギリスよりは美味しいかも」
彼が苦笑した。イギリスの食事がまずいのは有名で、フィッシュアンドチップスかインド料理か、中華料理店に行くことが多かったからだ。
待ち合わせをしていたのは、地元のテレビクルーだった。景色の良いここで彼を撮影するらしい。そんなに彼が有名なのかと思ったが、そこで挨拶をして別れた。
その晩にアメリカンクラブでパーティーがあるからと、同級生のアメリカからの女子留学生に誘われて行ってみた。アメリカ大使館の横にクラブはあり、漁夫の砦のすぐそばだ。
「何のパーティーなんだい?」
彼女に聞いた。
「今度、ブダペシュトで劇が公開されるから、その宣伝を兼ねて作曲者が来ているの。来年はニューヨークでも公開するので、アメリカンクラブで歓迎会を開くというワケよ」
パーティー前から彼女と酒を飲んでいたが、主賓の登場に目を疑ってしまった。昼過ぎに漁夫の砦で話をしていた彼だったのだ。
彼は「キャッツ」の作曲・脚本担当のアンドルー・ロイド・ウエーバーだった。もちろん「オペラ座の怪人」も彼の手によって作られている。私が彼と会った時にはまだ「オペラ座の怪人」はできていなかったが、「キャッツ」の宣伝を兼ねてブダペシュトに来たというワケだ。
まさか世界的な有名人と2人っきりで喋るチャンスがあったとは…。パーティーの最中に私が手を振ると、彼はニヤッと苦笑して手を振り返してくれた。
彼のことを知っていたなら一緒に写真を撮っただろうし、サインも貰えたのにと思うと、痛恨の出来事であった。
(深山渓)