昨今のようにSNSで発信することが一般的でなかった昭和・平成の時代は、逸見政孝をはじめ、梅宮辰夫、野口五郎など、記者会見で自らのガンを告白した芸能人は少なくなかった。中でも最も悲壮感に満ちた、忘れられない会見が、今井雅之のそれだったように思う。
今井は自衛隊出身。退職後、法政大学に進学しながら俳優の道を志したという、変わった経歴の持ち主だ。そんなこともあり、芸能界に入ってからは役者として活躍する一方、バラエティー番組で本州横断マラソンに挑戦したり、塩とナイフだけで1週間のサバイバルを決行するなど、体を張った仕事にチャレンジ。人気を博していた。
そんな今井が腹部に痛みを訴えたのは、14年夏のことだった。最初は「腸の風邪」と診断されたが、その後、兵庫県内の病院で再検査を受けた結果、なんとステージ4の大腸ガンと判明したのである。
15年4月30日、変わり果てた姿で記者会見に臨んだ今井は、ガン闘病を告白すると、自身が原作・脚本を担うライフワークの舞台「THE WINDS OF GOD」の降板を発表。憔悴しきった表情で、こう言ったのである。
「絶対、舞台に立てる思いでリハビリしてきましたが、病には勝てなかった…。もう生きているだけの状態になったら、いっそのこと殺してほしい。安楽死です。夜中にこんな痛みと戦うのは、そして飯が食えないのは本当に辛いです」
かすれた声で語る姿が、闘病の過酷さを物語っていた。
今井は入院直前まで「バラいろダンディ」(TOKYO MX)にコメンテーターとしてレギュラー出演していたが、筆者の取材に同番組スタッフは、
「今井さんは5月7日まで生出演を続けていましたが、おそらくギリギリの状態だったはずです。それでも共演者やスタッフに余計な心配をさせまいと、一度も弱音を吐かなかった。元陸上自衛隊の猛者とはいえ、あの精神力は並大抵ではなかったと思います」
だが、そんな会見から1カ月を待たぬ5月28日午前3時5分。今井は夫人と姉に見送られ、静かに旅立った。葬儀に参列した舞台関係者は、筆者の取材にこう語ってくれた。
「今井さんは『船酔いに42~43℃のインフルエンザが来た感じ』と表現していましたが、痛みから解放されたその顔は、とても穏やかだった。いつも何かと戦ってきましたから、今はゆっくり休んで下さい、と言いたいですね」
「夢は叶う。思いが強ければ」が心情だった今井。もう一度舞台に立つという「夢」は叶わなかったが、愛され続けた54歳の生涯だった。
(山川敦司)
1962年生まれ。テレビ制作会社を経て「女性自身」記者に。その後「週刊女性」「女性セブン」記者を経てフリーランスに。芸能、事件、皇室等、これまで8000以上の記者会見を取材した。「東方神起の涙」「ユノの流儀」(共にイースト・プレス)「幸せのきずな」(リーブル出版)ほか、著書多数。