〈故人の強い希望により、身内だけで鎮かに送らせていただきました。主人の死を冷静に受け止めるには、まだ当分時間が必要かと思います。皆さまには申し訳ございませんが、静かな時間を過ごさせていただきます様、よろしくお願いいたします ちあきなおみ〉
これは、夫・えい治氏(享年55)が亡くなった後、ちあきなおみが事務所を通してマスコミに配布した自筆のメッセージである。
ちあきの夫で俳優の郷えい治氏が、入院先の東京・築地の国立がんセンターで最愛の妻に見守られる中、天国へ旅立ったのは、結婚生活が14年目を迎えようとしていた1992年9月11日だった。
2人は78年4月に結婚。その後、郷氏が個人事務所を設立し、ちあきのプロデューサーとして、文字通り二人三脚で歩んできた。
だが、亡くなる2年ほど前に肺ガンを患い、手術と入院生活を余儀なくされることに。そのため、ちあきは病院に泊まり込み、病院から仕事場に出かけ、仕事が終わるとその足ですぐに病院に引き返すという毎日を送っていたという。
だが8月27日、郷氏の意識がなくなり、昏睡状態が続く中、彼女が一人で付き添った。最後の一週間は病室に泊まり込んで、不眠不休の看護を続けたという。
しかし、願いは天に届かなかった。
遺体が荼毘に付される日、菊の花に埋もれた棺の中の夫に見入ったまま、微動だにしなかったというちあき。施設関係者が「では、これで…」と、声をかけ、荼毘に付されるその最後の瞬間、「わたしも、焼いて…わたしも、中に入りたい!」と大粒の涙を流しながら絶叫したという。
9月16日、緊急会見を行った郷氏の兄で俳優の宍戸錠は、次のように語った。
「弟は3カ月くらい前から、物を食べられなくなった。それを彼女は『元気になろうね』と励まして一生懸命、口に運んでやっていたんです。芸能界では珍しく完璧なまでの愛情に包まれて、2人は病室でのこの7カ月で、夫婦生活を全うしたと思う。彼女は人間として、女として、妻として、愛情を燃え尽きさせたのだと思います」
そして、こうも言ったのだ。
「今は彼女がいちばん心配です。やつれ切った体が回復するまでには時間がかかると思うが、一日も早く歌に芝居に復帰してほしいものです」
だが、ちあきは夫と死別後、一切の芸能活動を休止。公の場所にも全く姿を現さなくなった。一説には死の間際、夫が「もう歌わなくていいよ」と言ったとも伝えられるが、真相のほどは定かではない。
(山川敦司)
1962年生まれ。テレビ制作会社を経て「女性自身」記者に。その後「週刊女性」「女性セブン」記者を経てフリーランスに。芸能、事件、皇室等、これまで8000以上の記者会見を取材した。「東方神起の涙」「ユノの流儀」(共にイースト・プレス)「幸せのきずな」(リーブル出版)ほか、著書多数。