2000年11月23日、木村拓哉が工藤静香との結婚を発表し、芸能マスコミが右往左往する中、石坂浩二が突然、29年間連れ添った浅丘ルリ子との離婚を公表。再び芸能マスコミが奔走することになったのが、暮れも押し迫った同年12月27日だった。
この時、石坂は59歳。一方の浅丘は60歳。結婚当初からたびたび離婚危機説が取り沙汰されていたが、18年前に別居状態になってからは、離婚報道は年中行事化していた。それだけに、2人揃っての離婚会見には、若手芸能記者の間から「この2人、まだ離婚していなかったんですね」という言葉も飛び出す、不思議な記者会見になったのである。
会見で石坂は離婚理由を「母親の介護」として、
「年老いた母の介護をするため『女優・浅丘ルリ子』をそれに引きずり込むことはできない」
しかし前述したように、2人は長年にわたり別居状態で、そもそも浅丘が石坂の母の介護に携わる立場にないことは周知の事実だった。スポーツ紙デスクも、こう話している。
「介護のため、という理由なら、生活の半分が京都住まいになる『水戸黄門』(TBS系)のオファーを引き受けたことも不自然。この2人の場合、『仮面夫婦』と揶揄されながらも、お互いがプライバシーを尊重してきたことで、仲はそれなりに良好だった。だからこそ、浅丘が会見で語った『離婚の話があった時、なんで今さら、と思いました』というのは、彼女の偽ざる気持ちだったはず。長年取材してきた我々も、どうして今さら、と思いましたね」
案の定、この離婚劇には裏があった。なんと石坂がこの会見から5日後、22歳年下で石坂が主宰する劇団の元事務員、真理夫人との電撃入籍を明らかにしたのである。
年が明けた1月17日、入籍会見を開いた石坂は、彼女と4年間愛を育んできたとして、
「母が彼女のことを気に入ってくれて、私のわがままな頼みで結婚してほしい、と頼んだら『私でよかったら』と言ってくれましたので…」
つまり浅丘との夫婦関係はその時点において完全に破綻しており、すでに真理夫人が妻の役割を担っていたというわけである。
とはいえ、この告白に芸能マスコミ以上に驚いたのが前妻の浅丘だったようで、福岡で舞台出演中だった彼女に取材を申し込むと、
「石坂さんが何をしようと、私にはいっさい関係ありませんし、言うこともありません」
と、事務所を通じて突き放したようなコメントが返ってきた。
結婚30周年を目前に控え、いきなり突き付けられた離婚と、その後に知らされた元夫の電撃再婚。浅丘が発表した「いっさい関係ありません」という文章には、彼女の怒りと悲しみがないまぜになった複雑な心情が滲み出ていた。
(山川敦司)
1962年生まれ。テレビ制作会社を経て「女性自身」記者に。その後「週刊女性」「女性セブン」記者を経てフリーランスに。芸能、事件、皇室等、これまで8000以上の記者会見を取材した。「東方神起の涙」「ユノの流儀」(共にイースト・プレス)「幸せのきずな」(リーブル出版)ほか、著書多数。