人気絶頂の1982年、親族や所属事務所の反対を押し切って20歳で長渕剛と結婚し、芸能界を引退した石野真子。しかし、それからわずか1年4カ月後に結婚生活は破綻した。その際には「もう絶対、つまんない男とは結婚しない」と語ったとされる彼女が、再婚相手となる俳優・広岡瞬と、名古屋名鉄ホールでの共演がきっかけで親密な関係になった。1985年のことである。
そして5年の交際を経た1990年6月10日、都内で婚約記者会見に臨んだ2人は、
「前から、きっとこの人と結婚すると思っていました」
とノロける石野の隣で、
「いいこと、悪いこと、全てを知り合った上で結婚を決めました。最高のパートナーです」
そう語った広岡は、白い歯を見せた。かつては同じ事務所に所属し、2歳年上の石野が先輩。石野は再婚となるわけだが、それに対して広岡は言った。
「確かに、最初は僕もその(長渕との)話題に触れてはいけないと思ったんですが、いざ話してみると、すごくあっけらかんとしていて。以降、2人の間にそのことに関する引っ掛かりは全くありませんでした」
2人は6月28日、広岡がかつて留学していた思い出の地、ロンドン郊外のサニンデール地区にある教会で挙式。目黒区内の2LDKのマンションで結婚生活を送ることになった。
ところが、会見で「今度はとことんやります。何があっても(結婚生活を)前向きに頑張りたい」と決意を語っていた石野が、着の身着のままで自宅マンションから飛び出したのは、6回目の結婚記念日を迎える直前の、1995年6月初旬。
「結婚当初は二枚目俳優として活躍していた広岡も、ここ数年は全く仕事をせず、生活は全て石野が支えていたと聞いていますからね。つまりは彼女が、働かない広岡に愛想を尽かし、三下り半を突き付けて家を出たということです」(スポーツ紙デスク)
別居から6カ月後となる同年12月、広岡は芸能マスコミ各所に対し、FAXで以下のように報告。
〈離婚届に署名、捺印して石野真子さんの代理人に郵送しました。これで気持ちのけじめをつけ、来年から仕事を頑張っていくつもりです〉
2人の正式な離婚が成立したのである。
2度の失敗で、以降は恋愛には懲りたかに見えた石野だったが、2020年には極真空手の元全日本王者で大阪・岸和田市議の男性との熱愛が発覚。彼には妻がいたが、なんと2人の仲は「妻公認」で、9年間、男性と息子と3人で暮らすという不思議な生活が続く。2002年に男性が肝臓ガンで入院した際には、正妻とともに看病を続け、一緒に看取ったことが報じられた。
その後は独身を貫く石野だが、波乱の人生の幕開けが、この広岡との結婚だったのかもしれない。
(山川敦司)
1962年生まれ。テレビ制作会社を経て「女性自身」記者に。その後「週刊女性」「女性セブン」記者を経てフリーランスに。芸能、事件、皇室等、これまで8000以上の記者会見を取材した。「東方神起の涙」「ユノの流儀」(共にイースト・プレス)「幸せのきずな」(リーブル出版)ほか、著書多数。