「デイリー新潮」が香川照之の性加害スキャンダルを報じたのは、22年8月24日だった。記事によれば、香川は19年、銀座のクラブに勤務するホステスの胸を触るなどして、被害女性がPTSD(心的外傷性ストレス障害)を発症。結果、クラブ責任者に対し、ホステスが損賠賠償請求を求める訴訟に発展する(その後、訴えを取り下げ)経緯などが詳細に報じられていた。
報道を受けて翌25日、所属事務所が謝罪コメントを発表するも、事態を重く見たトヨタなど大手スポンサーはCM放送の中止を決定。さらにレギュラー番組も降板し、表舞台から姿を消すことになった。
この問題で、被害女性が心にどれほを大きな傷を負ったかは想像に難くないが、実はもうひとり、香川の独裁的な言動で心に傷を負い、離婚に踏み切ったとされる女性がいる。元妻のAさんだ。
CAだったAさんと香川は、95年に結婚。当時はまだ東大卒というプロフィールが話題になる程度の中堅俳優だったが、その後メキメキと頭角を現し、演技派としての地位を確立していった。だが、私生活では激動の日々が続く。
というのも、香川は幼い頃から母で女優の浜木綿子に女手ひとつで育てられ、父で歌舞伎俳優の市川猿翁とは長年にわたり冷戦状態だった。ところが11年に猿翁が脳梗塞で倒れたことを機に、電撃和解。すると夫人に何の相談なく、父親を自宅に同居させたのだという。
「さらに、香川は自分が果たせなかった『市川猿之助』の大名跡を長男に継がせるため、長男を歌舞伎俳優としてデビューさせ、おまけに自身も歌舞伎デビュー。その結果、Aさんには突然、梨園の妻と義父の介護という重責がのしかかることになった。しかも多忙な香川に代わり、Aさんが全てに対応しなければならず、徐々に2人の関係が悪化していったと言われています」(ワイドショーデスク)
そんな2人が21年間の結婚生活にピリオドを打ったのは、2016年12月12日。一部スポーツ紙の報道を受け、12月14日夜に東京・歌舞伎座の楽屋口で報道陣の囲み取材に答えた香川は、
「経緯も含め、離婚したという事実以外は何も語らない、ということを約束していますので」
として詳細については明言を避け、
「ひとえに私の力不足です。お騒がせしてしまったことを、深くお詫び申し上げます」
だが、前出のワイドショーデスクが言うには、
「離婚を抜いたスポーツ報知によれば、香川はこの6年間、ドラマ・映画・歌舞伎で全く休みがなかったとあります。好んで歌舞伎役者の妻になったならまだしも、ある日突然、専業主婦だった女性が梨園の妻になり、義父の介護まで担うことになった。にもかかわらず、多忙な夫は6年間も休みなし。夫人の心が折れるのは時間の問題だったのかもしれません」
仕事での名声を選んだ香川にとって、その代償はあまりにも大きかったのである。
(山川敦司)
1962年生まれ。テレビ制作会社を経て「女性自身」記者に。その後「週刊女性」「女性セブン」記者を経てフリーランスに。芸能、事件、皇室等、これまで8000以上の記者会見を取材した。「東方神起の涙」「ユノの流儀」(共にイースト・プレス)「幸せのきずな」(リーブル出版)ほか、著書多数。