「幸せな演歌歌手でした。今ここで何があっても、人生に何の悔いもありません」
この年の大晦日に、14年連続となる紅白への出演が決定していた歌手の坂本冬美が突然、休養宣言したのは、01年12月19日である。彼女は翌02年3月29日のコンサートで冒頭の言葉を残し、表舞台から消すことになった。
とはいえ、「人生に悔いはない」とは穏やかでない。しかも、本人が休養の理由を「体調の万全ではない日が多く、悩んでいた。心身ともにリフレッシュしたい」として、多くを語らず。さらには6年前に2億5000万円で購入した3階建て豪邸を売却していたことが発覚したから大変。すわ結婚か、はたまた最愛の父の突然の死による精神的ショックでの引退…などなど、憶測が憶測を呼んだのである。
坂本は休業後、いったん郷里の和歌山に帰ったのだが、そこでも不穏な話が流布することに。97年に急性膵炎で入院したことを引き合いに出され、いったい誰が流したのか、「重い膵臓ガンのため余命3カ月で、県立病院に入院。手当の甲斐もなく亡くなった」などというデマ情報が出たのだ。芸能マスコミは念のため、裏取りに奔走することになる。
だが、そんな噂をヨソに、彼女は和歌山での実家暮らしを満喫していたようで、実家を取材した民放局ディレクターによれば、
「お母さんによれば『冬美は今、ハワイに行っています。こっちでは甥や姪の面倒を見たり、ゴルフしたりしてのんびりしてますよ』と。膵臓ガンは完全なガセネタでしたね」
火のないところにも煙は立つものだと、驚いたものである。
ところがそんな坂本が、騒動から1年半後の03年3月7日に突然、所属レコード会社での復帰会見に登場する。桜の絵柄をあしらった和服姿で登場した彼女は、100人の報道陣を前に、
「デビュー10周年までは無我夢中でやってきたのですが、その後、虫垂炎になったり、父が亡くなったり、体力が落ち、気力もコントロールできないくらいになって。それで自信がなくなり、悪い方へと追い詰められていった」
精神的に追い詰められたことで声が出せなくなり、
「ちゃんと歌っていけるのだろうか、と。正直、最後の方は歌うのが怖くなってしまいました」
休業後もしばらくは、自分の歌を聴いたり鼻歌で歌うこともできなかったと、心情を吐露したのである。
しかし、再び彼女をスポットライトを浴びる世界に戻したのも、自分を追い詰めた「歌」だった。
「正直、引退も考えました。でも、私はやはり歌が好きだったんです」
一部では「演歌の世界にはありがちな話だよね」との見方はあったものの、わずかな休業での「死亡説」に、改めてスターの証を痛感したのである。
(山川敦司)
1962年生まれ。テレビ制作会社を経て「女性自身」記者に。その後「週刊女性」「女性セブン」記者を経てフリーランスに。芸能、事件、皇室等、これまで8000以上の記者会見を取材した。「東方神起の涙」「ユノの流儀」(共にイースト・プレス)「幸せのきずな」(リーブル出版)ほか、著書多数。