「ミスタープロ野球」長嶋茂雄がまだ出現する前、ブンブンと振り回す、そのあまりに豪快な打撃に、ファンは度肝を抜かれたことだろう。「怪童」と呼ばれた元西鉄ライオンズの中西太氏である。5月11日、心不全のため世を去った。90歳だった。
本塁打王5回、打点王3回を獲得したスラッガーにして、首位打者のタイトルも2度獲得。その中西氏がいなければ「引退が早まっていたに違いない」と振り返ったのは、通算2133安打の野球解説者、宮本慎也氏だった。
「卓越した安打量産技術もさることながら、特筆すべきは犠打数です。シーズン最多犠打を5回記録しており、01年の67犠打は、通算533本の世界犠打記録を持つ川相昌弘(現・巨人1軍総合コーチ)の66犠打(91年)を上回るものです」(スポーツ紙デスク)
94年ドラフト2位でヤクルト入りした宮本氏が中西氏と出会ったのは、99年。キャンプで臨時コーチを務めた中西氏からアドバイスを受け、守備の選手からバッティングでも魅せる選手に成長した。2000年には、自身初となる打率3割をマークしている。と同時に、中西氏にはバント指導も受けたのだという。5月19日にYouTubeチャンネル〈野球いっかん〉で明かしたところによれば、
「セーフティーバントって、みんなギリギリでポンってやろうとするけど、違うんだと。(早々に)バットをサード側に向けると、反応のいいピッチャーほどそっち方向にマウンドを降りていくから、逆側に空間ができる。だから、そこに押せって。手で細工するな、足で押すんだぞ、って」
名将・野村克也監督に恩義を感じつつも、ことバッティングに関しては中西氏に教わったと感謝する宮本氏。中西氏は偉大な選手を生み出していたのである。
(所ひで/ユーチューブライター)