開催中の大相撲夏場所(両国国技館)の六日目(5月19日)に引退を発表したジョージア出身で元大関の十両・栃ノ心が、5月22日のNHK「大相撲中継」にゲスト出演した。引退した心境を問われた栃ノ心は、
「この何年間か緊張感がなくなっちゃって、もう土俵の上で相撲を取れないですから(引退して)すごいホッとした感じです」
たび重なるケガの影響で、思うような相撲が取れなくなったことが、土俵上での闘争心に影響していたようだ。
引退後は朝目覚めても「自分の相撲を考えなくていいので、気持ち的に楽」と重ねて明かした栃ノ心の相撲人生は、波乱に満ちたものだった。
少年時代から格闘技に親しみ、柔道やサンボの経験を持つ栃ノ心は2006年3月場所、18歳で初土俵を踏むと、2008年1月場所には十両に昇進。この場所でいきなり十両優勝すると、同年5月場所に20歳で新入幕を果たした。2010年7月場所で新三役と、順調に番付を上げていく。
しかし、ここからケガとの闘いが始まるのだ。2013年7月場所に右膝前十字靱帯断裂、右膝内側側副靱帯断裂の大ケガを負って途中休場すると、3場所連続全休で幕下下位まで陥落してしまう。
しかし栃ノ心は、復帰した2014年3月場所から2場所連続で幕下全勝優勝すると、十両も2場所連続優勝で、同年11月場所に幕内復帰。
2018年1月場所、14勝1敗で幕内初優勝を遂げると、同年7月場所で大関に昇進。ヨーロッパ出身者としては琴欧洲(ブルガリア)、把瑠都(エストニア)に続き、史上3人目の快挙となった。
しかしここから再び、ケガとの闘いが始まる。大関としての最初の場所を途中休場し、いきなりカド番のピンチに。翌場所に勝ち越して関脇陥落は回避したが、2019年1月場所は右大腿四等筋肉離れで1勝もできず、途中休場。翌3月場所も負け越して、関脇に落ちてしまう。
5月場所は関脇で10勝し、規定により大関復帰を果たすが、7月場所はまたも右大腿四等筋肉離れで1勝もできずに途中休場。翌場所も負け越し、関脇で迎えた11月場所も負け越して、2度目の大関復帰は叶わなかった。
以後はケガのため十分に実力を発揮できずにじりじりと番付を下げ、今年3月場所には十両陥落。今場所も5連敗と、とても相撲に臨む状態ではなく、ついに引退を決めたのだった。
「17年間でいろいろありました。ケガもあり、活躍できたこともありました。良いことも悪いことも。振り返ると良かったと思っています。相撲やれて幕内まで上がって、優勝もできたので」
そう振り返る栃ノ心の表情は穏やかで、土俵上の重圧やケガの苦しみから解放された安堵感が滲んでいた。スポーツ紙デスクが言う。
「栃ノ心でまず思い起こすのは、その怪力ぶりでしょう。一度まわしを取ったら絶対に離さない、ケタ外れの握力があり、重量級の力士を吊り上げて土俵外へ出すシーンでは、観客が大いに沸きました」
初めて解説席から見る相撲は「楽しい」と語った栃ノ心がしんみりとした表情を見せたのは、同部屋の外国人関取・碧山の話題になった時だ。
「ここ何年かずっと一緒にやってきたので、寂しいんじゃないですかね」
と碧山の心境を慮ると、
「自分は髷を完全に切るまでは部屋に毎日行って、四股踏んでまわし締めて(若手に)胸を出したりするので。まぁ辞めても日本に住もうと思ってるんで、日本を離れるわけじゃないんですけど、相撲界を離れるのは寂しいですね」
栃ノ心は日本国籍を取得していないため、親方になることはできない。一部報道によれば、今後は日本とジョージアを行き来しながら、貿易関係の仕事をするのではとみられている。
「栃ノ心と碧山は同じヨーロッパ出身の同部屋ということで、互いに励まし合いながら稽古してきたのでしょう。ここで一部のファンから上がっている疑問は『外国人力士は1部屋につき1人しか所属できない、という規定』についてです。なぜ栃ノ心と碧山は共に外国人でありながら同じ部屋に所属できたのか。実は2人は、最初から同部屋だったわけではないのです」(前出・スポーツ紙デスク)
碧山はブルガリア出身の大関・琴欧洲の紹介で角界入りし、田子ノ浦部屋に所属。ところが田子ノ浦親方(元幕内・久島海)が2012年2月に急逝する。他に親方のいない田子ノ浦部屋は閉鎖されることになった。
8人いた所属力士は別の部屋に移ることになったのだが、この時、出羽海部屋に5人、春日野部屋に3人と、2つの部屋に分割して移籍するという戦後初の事態に発展する。当時の北の湖理事長は「急なことでなかなか決めかねていたが、力士の意思を尊重することになった」と、その決断を語っていた。碧山は同じヨーロッパ出身の栃ノ心がいる春日野部屋に移籍したというわけなのだ。
こうして1部屋に外国人力士2にという特例が誕生したわけだが、2人にとっては心強かっただろう。
碧山のこれからの相撲人生、そして栃ノ心の第2の人生を応援したい。