それにしてもなぜここまで、猿之助一家は追い込まれる羽目になったのか。
「自死を図った原因は、事件当日に発売された女性週刊誌のスキャンダル記事と考えるのが自然でしょう。内容的には、スタッフや共演者に対するかなり過激な性的ハラスメントやパワハラで、地方興行では猿之助の部屋に呼び出された挙句、キスをされたり、ベッドで横に寝ろと命じられたケースが紹介されている。酒を飲むと下半身を好き勝手にされる、といった告発も掲載。中にはこれを拒否した人物に対して、役から外すという証言まであった。猿之助本人への直撃では『答える義務はありません』とだけ話していましたが、5月16日に猿之助を見かけた人物が言うには、珍しく伏し目がちで、いつもは張りのある声でする挨拶にも元気がなかったのだと。よほどハラスメント騒動を気にかけていたのは間違いありません」(スポーツ紙芸能担当記者)
梨園関係者があとを引き取る。
「もともと歌舞伎界というのは、限られた役者とスタッフによって舞台が作られている世界だけに、ハラスメントに対する認識が世間とかけ離れている点は見逃せません。ただ、今回の記事だけで、猿之助がここまでの事件を起こすとは考えにくい。やはり、先代の名跡の重圧があったのかもしれません」
かつて歌舞伎界で猿之助率いる澤瀉屋(おもだかや)は、傍流的なポジションだった。ところが先代の3代目猿之助は、奔放なアイデアと実行力で澤瀉屋一座の地位を一気に高めた、中興の祖ともいえる存在。そのカリスマ性は今も伝説として、語りぐさとなっている。
「3代目猿之助は現代的な演出の嚆矢である『スーパー歌舞伎』を86年に初演。猿之助一座を率い、歌舞伎の範疇を超えた人気ぶりで一世を風靡しました。ところがゼロ年代に入ると、後継者問題が浮上します。きっかけは03年の、3代目の脳梗塞です。まだ働き盛りの猿之助が倒れて、一座にとっては大きな問題となった。当初、その後継者の最右翼と目された市川右近は梨園出身でないことに加え、血縁を重視する歌舞伎界の慣習から、亀治郎に白羽の矢が立った。05年に、亀治郎と父の段四郎さんが一座を離脱して、存在感を誇示します。その一方で、母親の喜熨斗(きのし)延子さんが3代目の介護にあたるなど、家族が亀治郎の4代目襲名に向けて、全面的にバックアップしてきた経緯がある。それだけに、猿之助という名跡に泥を塗ったのが許せなかったのでは」(芸能記者)
22年に発覚した香川照之の銀座ホステスへの性加害スキャンダルに続いて、今回の痛ましい事件。澤瀉屋は存亡の危機をどう乗り越えるのだろうか。