テリー この本を読ませてもらって、ウドちゃんはすごく繊細でしょう。そうすると傷つきやすいの?
ウド そうですね。傷つくことばっかりですね。
テリー そうだよね。例えば今までにどんな傷つくことがあったの?
ウド 僕、子供の頃から「やればできる」って言われて育ったんですよ。
テリー 勉強ができたの?
ウド いや、全然できないんですけど。運動神経も鈍くて体育1ですし、見てくれはこんなですし、滑舌が悪くて、言葉の順番もおかしいから「何言ってるかよくわかんない」って言われましたけど、母や祖母が「やればできる子だ」って育ててくれたんです。「でも、やらないのよね」って。
テリー 「やればできるんだから、やりなさい」とは言われないんだ。
ウド はい、「勉強しろ」とか「頑張れ」とか言われたことがなくて。だから、常に可能性を秘めた感じで育ててくれて、卑屈になることは一度もなかったんですね。
テリー いいお母さんとおばあちゃんだねぇ。
ウド だけど、芸人になりたくて18歳で上京した時に、1回就職したんですね。お肉の配達をやってたんですけど。それでお得意さんにお肉を持って行って、僕が「どうも、ありがとうございました」ってドアを閉めると、中から「アハハハハ!」って笑い声がするんですよ。最初は「何だろう、僕が出た後にそんなおもしろいことがあったのかな」って思ったんですけど、次の日も3回目も僕が出るとやっぱり笑い声が聞こえるから、ある時、気になって聞いてみたんですよ。
テリー そりゃ、気になるよね。
ウド そしたら「あ、聞こえてたんだ」って言われて、「いや、鈴木君が初めて来た時から、あの人は一体何なんだろう、変な人だなって思って笑ってたんだよね」って言うんですよ。「でも、君の前では笑えないから、出た後に笑ってたんだ」って。
テリー ええっ、そんなこと言われちゃうんだ。でも、その後は笑われなくなったんでしょう?
ウド 「今日も来た」みたいな感じで、その場で笑う感じになりました。そこからは打ち解けて、すごくお世話になって、よくしてもらったんですけど。
テリー でも、何か失礼だよね。
ウド あとは例えば、バス停や電車のホームで並んでる時に、その前が女性だったりすると、パッと振り向いて、僕を怪訝(けげん)そうな顔で見るんですよね。時には驚いて、声を出したりする女性もいて、「何でなんだろう」と思ったんです。その時は僕、人見知りなんで、何も言えなかったんですけど。
テリー 何だったの?
ウド よくわからないんですけど、それが悲しかったんですね。でも芸能界に入って、少しずつテレビに出られるようになったら、今度はそういう女性が振り向いて「あ、ウドさん」って笑ってくれるようになったんです。その時に「あぁ、芸能界って、何ていいところなんだ。入ってよかったな」と思いましたね。
テリー でもさ、そういうリアクションをされると人前に出るのが怖くなったりしない? よく気持ちが折れなかったね。
ウド そうですね。子供の頃から斉藤清六さん、関根勤さん、小堺一機さんが好きで、芸人になりたかったんですね。漫才ブームもありましたし、ドリフも「オレたちひょうきん族」も「欽ちゃんのどこまでやるの!」も全部見てたんですよ。
テリー その中で清六さんっていうのは?
ウド 中学1年の時に「欽どこ」で「村の時間の時間がやってまいりました」っていうのを初めて見たんです。そのマネを中学の体育館の壇上で、何かの集まりがあった時にやったらワーッとウケたんですよ。それが芸人になった原点というか、すごくうれしかったですね。