プラチナチケットは、取材でも大活躍したという。川村氏は東京ドームの前身、後楽園球場があった時代をこう振り返る。
「事件では読売のほうが優勢なんです。朝日は変に左のポーズを取るので、警察に嫌われます。朝日の記者は、『読売は刑事のところに後楽園球場の巨人戦チケットを持っていって関係を作るので、どうにもかなわない』と、よくこぼしていましたね」
読売の社会部はまさに野武士集団。強力な“実弾”を片手に、軍隊式で組織取材を行ってくる読売の記者は、朝日の記者に野蛮人として映った。
「朝日はルポルタージュ、政治、外交で売っていました。読売の読者は社会面、事件の強さに期待していました。全国紙と言いながら違った部分で勝負していったと思います。読売の社会部は社会部の在籍年数で先輩後輩が決まります。だから年上の人でも、あとから社会部に配属されてくると、後輩扱いされるのです」(大谷氏)
読売の社会部にはこんな言葉がある。
「1年違えば鼻たれ子僧」
読売がいかに朝日をライバル視していたのかは、こんな証言からも明らかだ。
「永遠のライバルだと教わってきました。記者時代に毎日、産経にスッパ抜かれると、とんでもないものを抜かれていてもそれほど怒られないんです。でも、大したことがない記事でも朝日に抜かれると午前3時、4時に呼び出されて『死ね』くらいのことを言われます。トップが朝日を気にしているんですよ」(大谷氏)
ところが90年代に入り、ある異変が起こったのだ。
「読売の政治取材力や、国際発言力が高まりました。それまでは朝日の領域だったのですが、リーディングペーパーであったことでクオリティも高くなってきたのです。追い抜かれた焦りからか、朝日は記者に任せるスタイルから、読売のような組織取材を行うようになります」(五味氏)
紙面には、それまで朝日では考えられなかった強い記事が目立つようになり、同業他紙の記者たちが「こんなことまで書いて大丈夫なのか」と思うような誤報ギリギリの記事が増えていった。今日の事態はすでに90年代から始まっていたと言えよう。
はたして、慰安婦や吉田調書の誤報など相次ぐ問題で地に堕ちた朝日に打つ手はあるのか──。
「確かに部数は下がっていってはいましたが、それで朝日の影響力が下がったか、というとそんなことはなかった。読売をマネるのではなく、それ以前の姿にもう一度戻ることが重要だと考えます」(五味氏)
冒頭にあるように、現在読売は朝日のひ弱な販売網を根絶やしにしようとしている。
「『新聞』というメディアをおとしめることになり、読売がやってはいけない戦争です。他者をおとしめれば自分に部数が回ってくるということはなく、ただ読まなくなる人が増えるだけです。朝日というのは日本最大のクオリティペーパーで、読売の最大のライバル。メディアの世界ではジャイアンツなのです。巨人をこかしたら、阪神ファンのモチベーションが上がらないのと同じですよ」(大谷氏)
かつて正力氏は、巨人のライバル阪神を強くするために、有力な選手をあえて阪神に渡していた。渡辺恒雄会長にそれができるだろうか──。